『記憶の図書館』カバー公開

 山田英春氏のツイッターでボルヘス+フェラーリ対話集成『記憶の図書館』のカバーが公開されました。対談相手をつとめたフェラーリ氏もこのカバーを見て、「とてもオリジナルで美しさにあふれたカバーだ。東洋からのまたとない贈り物だ。カバーの真ん中にある内なる図書館は彼らがボルヘスの精神で仕事をしたことを示している」(大意)と大絶賛をしていると風の便りに聞きました。

 気になる定価は、ここだけの話ですが、今のところ6,800円 (税別) くらいが予定されていると、これもひそかに聞きました。初版部数は『ワルプルギスの夜』と同じ程度のようです。

 この本もまた昨今の国書の鈍器路線を踏襲していて、背表紙に表紙絵がスッポリ入るくらいの部厚さです。ペーパーバック版の『ダールグレン』が思い出されます。最近の国書の辞書に「分冊」の二文字はないのでしょうか。そしてたび重なる国書税の重圧にあえぐ人民をよそに、とあるロココ風の部屋では今日も優雅にクラヴサンが奏でられている模様です。フランス革命がいまにも起こりそうな塩梅ではありませんか。
 

キャベツのようなもの

 
 もしあなたの奥さんが薔薇の花の刺繍をしていて、しかしできあがったものが薔薇よりキャベツに似ていたとしたら、あなたはどうしますか。たぶん何も言わないのが家庭の平和のためにはベストだと思いますが、わたしには奥さんがいないので、そこのところはよくわかりません。

 しかしマリオ・プラーツは違いました。『生の館』で彼はこう書いています。「……あの宿命の日、妻の刺繍したバラの花が気に入らなくて、わたしが教えてやる、などと思ってしまったときに。そして、彼女の刺繍したキャベツのようなものに比べれば、バラに近いものができあがったので、わたしは得意になった」(写していて改めて感じますが、中山エツコさんの翻訳はすばらしいですね)。
 
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 得意になったプラーツは、そのまま刺繍にのめりこんでしまって、ソファーや三脚のカバーを次々と刺繍で飾ることになります。しかしこんなことまで本に書いてしまっていいのでしょうか。奥さんから「あのときあなたはキャベツみたいなものだって言ったわね」と、ずっと後まで事あるごとにブチブチ言われはしなかったでしょうか。いやわたしが心配しても仕方がないことですが。

夏のクラシック怪奇小説フェア

 三省堂書店神保町本店二階では今「夏のクラシック怪奇小説フェア」が開催中です。これを選書した人はきっとかなりのマニアだな……日本作家では高原英理さんの本だけがあるのが渋いではないか……と思いながら並んでいる本を見ていたら、版元品切増刷未定になって久しいグスタフ・マイリンク『ワルプルギスの夜』もあるではありませんか。今までどこに隠していたんでしょう。ともかく思いがけなく再登場したのはありがたいことです。

 その左隣に見えているのは『書物の王国』であります。これもまた超クラシックな本で、「まだ在庫があったのかーー」と驚きました。先日逝去された須永朝彦先生はこの叢書で大活躍されていて、「3王侯」「5植物」「8美少年」「9両性具有」「10同性愛」「12吸血鬼」「13芸術家」「16復讐」「19王朝」「20義経」と全二十タイトルのうち十タイトルの編者を務めておられます。今国書のサイトで調べたら、3、5,16、19、20はいまだに版元在庫があります。『ワルプルギスの夜』とともにこれが最後のチャンスかもしれません。

 そればかりではありません。下の平台には知る人ぞ知るあの伝説の怪書『いかさまお菓子の本 淑女の悪趣味スイーツレシピ 』も見えます。クラシック怪奇小説群の傍らにあえてこの本を並べた書店員の方のセンスに敬意を表したく思います。
 
 

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クラサカ風の館

 
 倉阪鬼一郎さん、日本歴史時代作家協会賞受賞おめでとうございます! 今日はそれを祝してクラサカ風の館の話をしましょう。
 
 倉阪さんのミステリの中には「立派な館かと思ったら実は〇〇だった」というのが何冊かありますが、実はこういう館は現実にもあるのですよ。少し前に待望の翻訳が出たマリオ・プラーツの『生の館』がそれを赤裸々に実証しております。
 
 この『生の館』は一種の奇書といっていいかと思います(まあプラーツの本は全部そうなのですが)。「玄関ホール」「食堂」「リッチ広場に面した寝室」というふうに、各部屋について一章があてられ、おのおのの部屋にある家具を説明しながら過去の思い出話を語るといった構成になっています。いろいろ面白いエピソードがあって、たとえばヴァーノン・リーが意外に世話焼きで面倒見のいいおばさん(失礼!)だったこともこの本でわかります。

 しかし語り方が独特で、ちょうどグロテスク様式の模様が人や植物や動物を縺れあわせつつ壁を覆いつくすように、この本ではアンティーク家具と人生の挿話があやめも分からないようにつながって描写されていて、一大奇観とでも称すべき状態になっています。タイトルの『生の家』はもしかすると『生すなわち家』という意味も込めているのかもしれません。

 この本には各部屋の写真も添えられています。たとえば大広間はこんな感じです。

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 いかにもあの『ロマンティック・アゴニー』を書いた人の家だなあという印象を受けるではありませんか。こういう贅沢に慣れていないわたしが見ると色彩感覚がどことなく変で吐き気のようなものさえこみあげてくる気がします。普通の意味での「趣味のいいインテリア」とは言えないのではありますまいか。とくにシャンデリアは、人さまの家をどうこう言うのは無作法ではありますが、ちょっと恥ずかしい気がしなくもないですが皆さんどう思いますか。

 まあそれはそれとして、肝心なのは終章の「ブドワール」です。そこにはこんなことが書いてあります。

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 つまり隣家に接した部屋は、壁が薄いために、そこの住人である警察官夫婦の「あさましくて下品で不快な」けんかの声が筒抜けだというのです。騒音ばかりか煙草の匂いまで侵入してくるというのですから、かなりの安普請のような気もします。どうです、実にクラサカ的な館ではありませんか。いままでの豪勢な描写は、実は叙述トリックだったのでは? という感じさえしてくるではありませんか。

 
 おうそういえば、プラーツも垂涎のアンティーク机で校正されたらしい拙訳書が、奥付の記載によれば来月発売されることになっています。乞うご期待!

ワクチン二回目

 昨日19時にワクチン(ファイザー)の二回目を打った。それからもう24時間経過したが腕が痛いほかは副反応らしい副反応は(少なくとも現時点では)出ていない。多くの人に出るらしい倦怠感も発熱もない。まあでも倦怠感が出たということにして今日一日は翻訳を休んでアンニュイな雰囲気に浸ろうと思う。ああ、ここはパリのモンマルトルの丘……雪は降るのにあなたは来ない……ワワワワ……ワワワワ……

 話は変わって今日解説の再校を戻したゲラを見ると奥付に「9月〇日発行」と書いてあってのけぞった。9月〇日発行といえば、気の早い版元ならアマゾンで予約がはじまってもいいころではないか。本当に出るのだろうか? それとも出版契約とのかねあいで奥付に鮎川哲也風のアリバイ工作をほどこしているのか? 奇絶! 怪絶! また壮絶!

オリンピックに勝つために

 1964年の東京オリンピックの前年1963年に雑誌『マンハント』で野坂昭如が「オリンピックに勝つために」という連載エッセイを書いていた。日本が金メダルをとるにはどうすればいいかという趣旨のエッセイだが、これが60年後の今読むとおそろしく先見的なのだ。
 
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 まず野坂は言う。「羽田空港沖に、東京都直営による『オワイ船』を配置すべきだ。……なんなら、時を決めて一斉放水、いや放ウンするのもいい。……選手達は、はるけくも来つる東洋の、その神秘にふれた思いを深くし、そして食慾を失う。腹が減ってはイクサにゃ勝てないことは、伊呂波カルタの教えるところだ」
 
 そしてさらに言う。「これから建築にかかる選手村の宿舎は、つとめて札付きの不良土建業者に一任し、その好むままに、手を抜かせる」
  
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 あるいはこんなことも言っている。「そしてこの季節より、流行をきわめるのがインフルエンザである。百以上もあるビールスの種類の、そのすべてに対しワクチン接種は不可能だ。東京の人ごみに、見物としゃれこむ選手のすべて、これにおかされることは明らかだ」

 もちろん台風への言及にもおこたりない。「伊勢湾クラスの台風が東京を襲ったら、いや、この確率は五分以上の筈だ。さだめし打ちこわされるだろう施設を復旧するのに、一ト月や半月ではどうにもならない。また、同じく破壊された住宅をオリンピックより後回しにしては、いかにお人好しな都民も怒るだろう。つまり、天災を理由に、単なる恥さらしの場でしかない大会を返上するチャンスが増えるではないか」
 
 「単なる恥さらしの場でしかない大会」というのが実に予言的ではないか。今回のオリンピックの日本勢は今までにない金メダルラッシュだったらしいが、この「オリンピックに勝つために」に学んだのではないかというフシもないではない。いやー野坂というのはすごい人だったのだなと感嘆を新たにした。60年たっても腐らない文章を書ける、本質を見抜く目がそなわっていたのだ。もちろんこんな原稿を堂々と掲載する『マンハント』もすごい。センターにヌードグラビアがついていたりして一見下品で軟派だけれど、中身の反骨精神には襟を正すべきものがある。

中井英夫「鏡に棲む男」フランス語朗読

 本多正一さんから、フランス語版「鏡に棲む男」の朗読がYouTubeにアップされたことを教えてもらいました。これはなかなかのものですよ。
 
www.youtube.com
 
ちなみにテキストはここにあります。「これがこの人間世界にあっていいことなのか……」という藤木田老の呟きを繰り返したくなる昨今ですが、この朗読を聞きながら人外境に思いをはせてみてはいかがでしょう。

大辞典への感謝

ここ一年くらい、毎日のように白水社の『スペイン語大辞典』のお世話になっていた。本体25,000円という国書刊行会もビックリの価格だがそれでも割安という感じしかしない。この辞書の特色はなんといっても中南米で使われる意味を丹念に記述していることだ。これにはどんなに感謝しても感謝しきれない。

ところで日々引き倒しているうちにこんな単語さえ拾っているのに気づいた。
  

 
よく探せば「ジカパイ」とか「ブドウ狩り」*1にあたるスペイン語も載っているかもしれない。なかなかあなどれない辞書である。
 

*1:『龍彦親王航海記』を参照のこと。『食物漫遊記』でも可。

ジャリ全集いよいよ刊行!

 『骸骨』、『人狼ヴァグナー』、『「探偵小説」の考古学』、『マルペルチュイ』、『高原英理恐怖譚集成』と、最近の国書刊行会は重量級の本ばかり立て続けに刊行している。「誰が一番分厚い本を出すか」という社内コンクールでもやっているのだろうか。東野圭吾の昔の短篇集『超・殺人事件』にそんな話があったけれど、まさかそれを実地にやる会社があったとは……おそるべし国書!

 だがここにとつぜん、優勝をかっさらっていきそうな超ダークホースが現れた。あの『ジャリ全集』である。あの、はるか昔から噂だけが先行していた『ジャリ全集』がいよいよ本年中に刊行という確かな情報が入ってきたのだ。全一巻というから、きっとあのシュオッブ全集をしのぐ厚さになるだろう。なにしろシュオッブは短篇しか書いてないのに、ジャリは何冊も長編を書いているのだから。

 こいつが出たらシュオッブにも劣らぬセンセーションが起きることは間違いない。何を間違ってか20世紀フランスに生まれてしまった古代ローマの闘士の摩訶不思議な作品群をとくとご照覧あれ。

不幸の手紙異聞

翻訳が滞る訳者に不幸の手紙を送りつけるという、社名は厳秘のとある出版社であるが、先日さらにおそろしい話を聞いた。何十年も前に亡くなった人を降霊術で呼び出してさる文豪の傑作選を編ませるとか、空飛ぶ円盤を真面目に考察した本を出すとか、蠟でできた本を骸骨の人が出すとか、帯が伏せ字になっているとか、全宇宙が待望しているとか、不審な噂が絶えないのだが、先日ついにその報いが来たのか、アルゼンチンからエージェント経由で不幸の手紙が舞い込んだという。

アルゼンチンといえば、月刊ムーの記事によれば、ナチスの残党がUFOの秘密基地を作っているらしい。さらに武田崇元氏によれば、UFOの建造にはアルデバラン星人が協力しているという。これは大変なことになった。まごまごしてるとアルデバラン星人の円盤が社の上空に飛来してしまう。何かが空を飛んでいる本*1なんか出すんじゃなかった! と思ってももう遅い。

おそるおそる手紙を開けてみると、あにはからんや、「お前のところの本の装丁はすばらしい!!!」という大絶讃の手紙だった。一同はほっと胸をなでおろしたという。
 

*1:別に提灯を持つわけじゃないですが、これは百年に一度の名著ですよ。言葉では表現できないものをギリギリ言葉で表現しているのがすばらしい