後悔しない秘訣

昨日の日記で「いつなんどき変な圧力がかかって出版差し止めとか回収とかになるかもわからないから」と書いたが、これはすなわち、「あとで後悔しないよう今のうちに買っておく」という意味である。買って後悔するか、買わずに後悔するか、これは千古不易の悩ましい問題だ。

しかし「買って後悔」の場合は、その後悔はしょせん費やした価格だけの問題にすぎない。ところが「買わずに後悔」は、後悔の度合いが定量的に測れないだけに、いつまでも後をひく。とくに古本の場合だと一期一会という場合も多々あるのでなおさらだ。拙豚などは買わずに後悔した本はいまだにどの店のどの棚のどこらへんの位置にあったかまで覚えている。よほど執念深い性格なのかもしれない。

しかし亀の甲より年の功、年歯を重ねるにつれ、「買わずにいて、しかも後悔しない」方法をじょじょに編み出すにいたった。それを一言で言えば「買わないと決めたとき、その理由を明確に心に刻み込む」ということだ。

といっても、お金がないとか、買っても置くところがないとか、重いので持ち帰るのが面倒とか、買ってもどうせ読みやしないとか、そういう普遍的な理由はあとで必ず後悔のもとになるから、絶対に禁物である。「買わない理由」はその本特有のものでなくてはならない。たとえば表紙の角がつぶれているとか、ページが折れているとか、三文判の蔵書印が捺してあるとか、店主がやたらにエラそうであるとか。逆に言えば、どうにもこうにもケチがつけられないような本はエイやっと買うということでもある。この秘訣を編み出して以来、拙豚はよほど心の安寧がえられるようになった。

超自然的恐怖原理主義者たちに抗して

巷で「ホラーより怖い」と人気大沸騰中なようなので拙豚も一本を贖った。いつなんどき変な圧力がかかって出版差し止めとか回収とかになるかもわからないから。


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もしかすると超自然的恐怖原理主義者の方々から、「こんなものをホラーと呼ぶとは何事ぞ! 恐怖は超自然に限る! サンマは目黒に限る!」と非難の礫が飛んでくるかもしれない。しかしちょっと待ってほしい。フィクションのホラーは、拙豚にとっては、恐怖というよりは、ポール・サイモン歌うところの "Hello darkness, my old friend" というようなものに近いのだ。

だが買ってみたものの、あまりに恐そうなのでまだ一ページも読んでいない。というか本さえ開いていない。なにしろ表紙だけで十分お釣りが来るほど恐いから。

誰だった名前を失念したある女性漫画家は、少女のころ楳図かずおや古賀新一などのホラー漫画の大ファンだったが、あまりにも読むのが恐ろしいため、親に頼んでいちばん恐いシーンをあらかじめマジックで塗りつぶしてもらっていたそうだ(どなただったろうか? マジックで塗りつぶされた漫画雑誌の絵ははっきり記憶にあるのに肝心の名が出てこない。もう年かもしれない)。この本の表紙もそんなふうにマジックで塗りつぶしたくなるものがある。

おおそれから、ここに拙豚も寄付しました。『イヴのことを少し』の保証部数相当の印税額の半分くらいを。

謎のDeepL:和文英訳篇

前回に引き続き今度は和文英訳篇。適当に例文を作ってどのくらい正確に訳されるか試してみた。DeepLでまず和文を英文に訳し、それをまたDeepLで和文に直してチェックしてみた(今思い出したけどたしかディックの『銀河の壺直し』にそんな場面がありましたね)。


例文1 全集が出ないうちに訳者の一人が亡くなってしまった。これでは『最後の危険なヴィジョン』になりかねない。
 
 ↓
One of the translators died before the entire collection was published. This could be the 'Last Dangerous Vision'.
 
 ↓
全集が出版される前に翻訳者の一人が亡くなった。これが『最後の危険な幻影』かもしれない。

[講評] 構文は正しく把握されている。「出る」にちゃんと "publish" をあてているのが偉い。だが第二文はニュアンスを捉え損なっているようだ。英作文は苦手だが、もしニュアンスを強調して訳すなら、"I'm afraid this would turn out to be another 'Last Dangerous Visions'"とでもなるのではないか。ところで某全集はともかく『土の人形』はいつ出るのだろうか。夏中に出るだろうか。



例文2 散歩してたら偶然澁澤邸を見つけたので用もないのにチャイムを押したら本人が出てきた。
 
 ↓
I happened to find Shibusawa's house when I was taking a walk and I pushed the doorbell, but he came out.
 
 ↓
散歩中にたまたま渋沢の家を見つけたので呼び鈴を押したら出てきた。

[講評]これも 構文は正しく把握されている。原文で省略された主語を正しく"I"と判断しているのはお手柄。でも「用もないのに」と「本人」が訳されていない。それにしても澁澤さんはいい人だった。


例文3 いつものように幕が開き恋の歌歌う私に届いた手紙は黒い縁取りがありました。
 
 ↓
As usual, the curtain opened and the letter arrived to me singing a love song, with a black border.
 
 ↓
いつものようにカーテンが開き、黒い縁取りでラブソングを歌っている私の元に手紙が届いた。

[講評]内心これは無理だろうと思ったがかなり健闘しているので感心した。"singing a love song”という分詞構文にはちょっと違和感があるが文法的に正しいのだろうか。


全体的にはまずまずの出来栄えだと思いました。

謎のDeepL

巷で噂のDeepL翻訳をちょっと使ってみた。


原文

Y hasta podría pensarse que lo más importante de esa obra, salvo que todo es importante, es - la amistad de Virgilio y de Dante; porque Dante sabe que él se salvará, y sabe que el otro está condenado -en todo caso, excluido de la vista de Dios-y lleva esa vida melancólica, con las otras cuatro grandes sombras.
 
-Sí, como antes Eneas en La Eneida.
 
-Es cierto.


DeepLによる翻訳

ダンテは、自分が救われることを知っていて、もう一人は呪われていることを知っていて(いずれにしても神の目から排除されていることを知っていて)、他の四つの偉大な影とともに、憂鬱な人生を送っているのです。
 
-そうですね、以前のエエネイスのように。
 
-(徳井)そうですね (山里)そうですね


第一パラグラフは半分くらいしか訳していない。まあそれは仕方ないとして、原文に出てこない「徳井」とか「山里」とかいう人が最後にいきなり登場して相槌を打つのはなぜだろう? ステマなのだろうか。TV番組の合間にコマーシャルが挟まれるようなものか。まあ無料のサービスだから、非難する気はないけれど……

すると私もお金さえ払えば、「(垂野) ところで『イヴのことを少し』は名作ですよ」とかいうフレーズを関係ない翻訳の間に挿入してもらえるのだろうか?

それはともかく、ミステリ翻訳家にたとえると、Google翻訳が村崎敏郎(ともかく直訳する)とすれば、DeepLは西田政治(理解できないところはバンバン飛ばす)というところか。ここは一つ都筑道夫タイプ(原文を読まずに創作する)も作ってほしいが、AIには荷が重いかもしれない。

紙片は告発する

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ディヴァインは好きな作家だ。社会思想社のミステリボックス時代にはよく読んだ。でも長いあいだ作者は女性かと思っていた。女性が視点人物になることが多いし、女性の心理描写に容赦がなく、また往々にしていかにも女性作家らしい結末で締めくくるから。実は未だに作者が男性であるとは半信半疑である。もしかしたら訳者が女性であることがこの印象に影響しているのかもしれない。まあなんにせよ、社会思想社版といい創元推理文庫版といい、ディヴァインは最適の訳者に恵まれた幸せな作家だと思う。

むかしむかし佐野洋が名探偵不用論というのを唱えたことがあるが、ディヴァインの諸作品ほどその強力な例証となるものはないように思う。ディヴァイン作品はたいてい小都会の小さなコミュニティを舞台にしていて、その中で醸し出される濃密で微妙な人間関係の中で殺人が発生する。事実ここでは刑事さえ容疑者たちと浅からぬ人間関係を持つコミュニティ内の人間だ。そんなところにエルキュール・ポアロであれエラリー・クイーンであれ、いかにも名探偵でござい、みたいな人間がやって来たらどうなるか。作者が慎重に築きあげたこの精妙な舞台は一挙に壊れてだいなしになるに違いない。

さて久しぶりに読んだディヴァインであるこの『紙片を告発する』も期待を裏切らない見事な出来栄えだった。最後の殺人未遂が行われた時点で、作者は親切にも容疑者(この殺人未遂が可能だった者)を三人に絞ってくれている(p.238。ここには五人の名があるがうち二人は明らかに圏外。だって登場人物表にさえ名がないのだから)。まあこの三人の中にいるなら犯人はこの人だよね、というのはディヴァインの他作品を読んだ人ならだいたいわかる。でもその後にものすごいミスディレクションがあって(p.288あたり)、アレアレちょっと待てよ、そういえば全部同じ犯人とは限らないな、現に他作品でも最初の事件だけ別犯人というのがあったじゃないか……と考え始めると作者の術中にはまったも同然である。あと真犯人の動機が実にさりげなく示されていたのにも舌を巻いた。実にコテコテに楽しませてくれる「端正な本格」の逸品である。

ライノクス殺人事件

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シンプルなトリックを圧倒的なケレン味で包み込む、日本でいえば、『○○○○○○○○殺人事件』を連想させるような作品。ちなみに『○○○○○○○○殺人事件』は評価が真っ二つに分かれた問題作だが拙豚は傑作と思う。『ライノクス』もこれと同じくらいに、読者の目をくらませるために渾身の力が傾けられている特異な作品である。

小説が一区切りつくごとに「解説」と称する短文が挿入されて、それまで起こったことを手際よくまとめてくれている。これがなかなかクセモノである。なんだか変だなと思うような描写があっても、この解説でもっともらしいことを言われると、なんとなく納得させられて疑問をウヤムヤにしてしまうのである。トリックは先に述べたようにシンプルそのものなので、多くのミステリ愛好家がたちまち真相を見破ると思う。だが拙豚はまんまと騙されてしまった。いやしかし(負け惜しみではないけれど)こんな犯行計画は指紋でたちまち破綻すると思うのだが……

読み終わって感心したのは、この特異の構成の何もかもがトリックのカモフラージュに奉仕していることだ。帯の惹句でうたわれている結末から始まる構成にしてもそうだ。つまり、「なぜこれが結末になるのか」と考え始めると真相から目が逸らされるような仕組みになっている。あたかも『○○○○○○○○』におけることわざ当てのようだ。つまり解けないに決まっている謎をぶつけて読者の目をつぶすのである。あと結末、第一部第一場、同第二場でそれぞれ出てくる三人の人物が判で押したようにいずれも権力志向の横柄な人物であることもうまいカモフラージュだと思う。まあ何にせよこんな簡単なトリックを見破れなかった自分が情けない。

探偵を捜せ!

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有名な作品だが今回初めて読んだ。

舞台は山の上に一軒だけ建つ山荘。その管理人は急用のため山荘を去り、客のウェザビー夫婦と小間使いだけが残された。ウェザビー夫人は遺産目当てに夫を殺してしまう。ところが夫は死ぬ直前に、探偵を雇ってここに来るように命じたと言った。やがて相次いで来る四人の客。いったいだれが探偵なのか、ウェザビー夫人は頭を絞って探り出そうとする。だがいかんせん頭が推理向きにできていないので、恐ろしく行き当たりばったりの行動をはじめる。

パット・マガーはアメリカの作家だが、この作品にはフレッド・カサックを連想させるようなフランスミステリの風味がある。とにかくブラックユーモアが横溢していて、もしかしたらそこが読みどころなのかもしれない。本当は四人の誰も探偵ではなく、夫も死んでなかったら面白いだろうなと思いながら読んだのだが、実際はもっと容赦ないものだった。

今でも新刊で手に入るらしいが「番頭」とか「アベック」とか「点火栓の鍵」(たぶんイグニッション・キーのこと)とかいう古めかしい訳語はそのままなのだろうか。ちょっと気になる。