ありがとうブリリア

『イヴ』初校ゲラをたった今ヤマト便に出してきたところだ。初校ゲラというと普通の人は確認あるいはバグフィックスのため見るのであろうが、拙豚にとってはここからが本番なのである。赤潮にやられた海のように真っ赤に染まるのである。関係者諸氏の迷惑は一通りではないだろうと思い、いつも頭を深くうなだれる。

そんなわけで昨日から今日にかけてヒーヒー言ってたのだが、ここでリフレッシュ源となってくれたのが、ツイッターのトレンドに突如あがってきた「ブリリア」なる言葉である。いやもう笑ったのなんの。おかげでゲラの直しも快調に進んだ。ありがとうブリリア! 君の恩は忘れないよ!

さてここからは真面目な話だが、ブリリアなるマンションが難を逃れられたのは、まさしく「ブリリア」なる名前のせいなのである。この名は悪魔を近づけない名なのだ。嘘ではない。田中克彦の『名前と人間』という本にはこう ↓ 書いてある。

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たしかに「ブリリア」ではどんな悪魔だって近づく気になれないだろうし、たいへん健康で活発なイメージがある。

話は急に変わるが、「~だわ」「~ね」「~なのよ」みたいな女性言葉は、現実にはそんな話し方をしている人がたくさんいるにもかかわらず、翻訳に使うとなんとなく不自然になる。これまでは必要悪と割り切っていたのだが、今度の『イヴ』の翻訳では、思うところがあって、いっさいそういう女性言葉は使わないことにした(ついでに「彼女」という代名詞もいっさい使わないことにした)。

おかげで女性が大勢出てくるのに、全体的にたいそうガサツな感じになった。『イヴ』は本当はエロチックな話なのかもしれないが、拙訳ではまったくそうではない。これの当否は読者諸賢にご判断願いたいと思う。

全部買ってもいい

東京創元社さんから60周年記念ブックケースをいただきました。どうもありがとうございます。売り上げに全然貢献していない、それどころかきっと足を引っ張っているであろうわたしにまで下さるとは恐縮です。カシオの電子辞書がちょうど入る大きさなので重宝しています。


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それにしても、こういう創元推理文庫のマークをちりばめたグッズを見るたびに思うのだが、なぜ本家本元の創元推理文庫の背表紙にこれらのマークを復活させないのだろう? こういうグッズが作れるということは、版権上問題があるというわけでもなさそうなのに。

いちおう「ミステリが多様化したため、マークの分類が実情にそぐわなくなった」というのが公式見解であるようだ。でもそれが言い訳にすぎないことはすぐわかる。というのは、文庫巻末の作品紹介を見ると、作品ごとに小さく〈本格ミステリ〉とか〈ハードボイルド〉とか書いてあるからだ。分類が難しくなったなんて、どの口が言うかな?


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従来の分類にはあてはまらないものがあった場合には、たとえばコージーミステリならホームベーカリーのマークにするとか、適宜増やしていけばよいではないか。あああの背表紙マークさえつけてくれれば、毎月の創元推理文庫を全部買ってもいいよ!

なのめに書き流したる

下の画像は特に名を秘す版元の、昔の本に挟まれていた愛読者カードだ。ここを見ている方なら「あああれね」とピンとくる方も多いと思う。


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ごらんのとおり斜めになっている。印刷ミスではないようだ。意図的に傾けているらしい。古老の話によればこの本の新聞広告も斜めになっていたそうだ。でもどうして?

ある小説には恋しい思いを伝えるために切手を斜めに貼る女性の話が出てきた。それからネットのどこかで見たのだが、ある会社では上司へのお辞儀の代わりに印鑑を斜めに押すということだ。そういうのに類したことだろうか。でも「類する」と言われてもどう類するのか。そもそも斜めだと書きづらくはないのか。読むときもハガキを斜めにして読むのか。とにかく疑問は尽きない。

項目に特に変わったところはないが、ただ一点、「本書についてのご感想」という三角のスペースに、「造本者へのご意見」というのがあるのがやや珍しい。よほど意見を言ってもらいたいのだろうか。

ともかく謎の多い版元ではある。相当にひねくれた版元ではないのかという気もする。

くとぅるーちゃんも驚愕

ただいま『イヴ』の初校ゲラと格闘中である。

鉛筆で丹念に書き込まれた藤原さんの疑問出しを見ていると、こんなに手間をかけさせて申し訳ない、と思うと同時に、「オレってこれほど英語ができなかったんだなあ」という感慨めいたものも湧いてくる。還暦を越えてようやく気づく衝撃の事実である。いや薄々は知っていたけど。

と書くと、「こんな奴に翻訳をやらせておいていいのか!」と国書刊行会に抗議に行きたくなる人も出てくるかもしれない。でもちょっと待ってほしい。矢野徹といえばかつてSF翻訳界の指導的立場にあった人だが、その矢野徹が言っていた。「SFの翻訳には中学で習う英語で十分」と。

わたしの経験からしてもこの言は正しい。ただ二つほど注釈が必要だろう。その一つ目は、ここでいう「中学の英語」とは、矢野徹が現役で活躍してた頃の中学英語であって、四技能が何とかという昨今の中学英語ではないこと。二つ目はここでいう「中学の英語」の力とは、試験で100点とれる力のことで、平均的な中学生の英語力ではないこと。語学においては一の確実な知識は十のあやふやな知識にまさる。だから高校の英語テストで70点とるより中学の英語テストで100点とるほうが翻訳力はあると思う。

とはいうものの、世の中には中学の英語ではどうにもならない英文があるというのもまた厳然たる事実である。『イヴ』も手ごわいが、わたしの見るところ『ジャーゲン』はもっと手ごわい、というか凝っている。なにしろのっけから、タイトルページの下にこんな擬古文みたいなものが書かれてあるのだ。


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ページをめくるとバートン・ラスコーへの献呈の辞がある。こっちは現代英語みたいだが意味が判じがたいには変わりはない。その名状しがたさにはくとぅるーちゃんもビックリだ。「ふんぐるい むぐるうなふ」とかそういうののほうがよっぽど意味明瞭だと思う。


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いわゆる差別語

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翻訳をする上で、特に古い作品を翻訳する上で、いわゆる差別語の問題は避けて通れない。わたし自身はそういうものが出てきたときは、原則として穏当な語に言い換えることにしている。すなわち大勢順応主義である。スッタニパータというありがたいお経にも書いてある。「イソギンチャクの角のように付和雷同で歩め」と(記憶による引用なので違っているかもしれない)。

「ものは言いよう」というのは確かにある。たとえば「覗き」というと忌まわしい感じだが、これを「屋根裏の散歩者」と言い換えれば、なにやら詩的な雰囲気さえただよってくる(まあやっていることは一緒なのだが)。「あまりにも明快な言い回しでは、星が月夜に色褪せるように、明察はその光輝を失う」と『文学におけるマニエリスム』にも書いてあるではないか。

さて、わたしの訳すものには、何の因果か、(英語でいえば)hunchbackという言葉がたびたび出てくる。初の翻訳書である『最後の審判の巨匠』からして、主要登場人物の一人がhunchbackだった。

ときどき本のおしまいのほうに、「著者自身に差別的意図はなく、また著者がすでに故人である等の事情に鑑み……」などと書いてあるが、ことhunchbackに関していえば、特に怪奇小説の場合、著者に差別的意図がなかったとは考えがたい。もっと言えば、単にグロテスクな雰囲気を出したいだけのためにhunchbackの人を登場させるのはやめてほしいなあと思うのだ。

ということで『最後の審判の巨匠』の場合は、hunchback(にあたるドイツ語)は自主的に「猫背」と訳した。こう変えても作品の価値は寸毫も揺らぐまいと確信してのことである。

なんでこんなことを書いているかというと、今度出る『イヴ』にもまたまたhunchbackが出てくるのだ。よほどこの言葉に憑かれているとしか思えない。しかも『イヴ』の場合、「猫背」みたいな滑稽感のある言葉は場面的にふさわしくない。はてさてどうしたものか。気絶怪絶また壮絶!

サンリオ文への挑戦

サンリオSF文庫といえば裏表紙の紹介文が懐かしい。

本のカバー等に記された内容紹介文は、本来その本への興味を持たせるために書かれるものであろう。ところがサンリオSF文庫裏表紙の紹介文には、そんな低次元の目的なんか気にしてたまるかとばかりに、ひたすら独自の道を行くものがままみられる。

たとえばこんなのはどうだろう。興味を引くとか引かないとか以前に、そもそも文章の意味がわかるだろうか。たとえば最後の「化している」の主語は何なのか。「小説の本質」?


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まあでもこれはまだマシなほうかもしれない。一文がさほど長くないうえ、読んだ人なら本のタイトルを当てられるかもしれないからだ。だが次のはもっとすごい。内容にあまり関係ない抽象的表現の羅列だけだから、読んだ人にさえ当てられないかもしれない。


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ところで今回『ジャーゲン』とともに作成されるマニュエル伝内容見本のうち、『イヴ』の内容紹介を書かせてもらえることになった。そのときとつぜんムクムクと、憧れのサンリオSF文庫の裏表紙紹介文のスタイルを真似てやれという野望が頭をもたげてきたのである。

ただテンションが十分ハイにならなかったのと、あんまり変なことを書いて売れ行きに悪影響があってはいけないという良識が邪魔をして、不完全燃焼気味に終わってしまった。本格的なサンリオ文への挑戦はまた他日を期したい。

ヴァリスの訳注

サンリオSF文庫『ヴァリス』の訳注といえば、初読以来気にかかっているところが一か所ある。と書くと、「ああ、あそこね。うんうんわかるよ」とうなづいてくれるかたも何人かおられると思う。そう、ここである。


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ちなみにこの「トラヴル」は創元推理文庫版*1にも引き継がれている。鵜の目鷹の目リンクスの目を持つT京S元社の校閲陣がこれを見逃すわけはないから、おそらく訳者と校閲者のあいだでパチパチパチと火花が飛んだあげく、最終的に「トラヴル」に落ち着いたものだと思う。

かくいうわたしも、troubleのカタカナ表記としては、「トラブル」より「トラヴル」のほうがかっこいいと認めるにはやぶさかではない。しかし自らの訳文で「トラヴル」とやる度胸はない。いや仮にあっても、少なくともT京S元社の校閲陣は許してくれないだろう。

早く大御所になって好き勝手なカタカナ表記ができる身分になりたいものである。

*1:この当時はまだ創元SF文庫はなかった