文学フリマ収穫(その4)

その4は「サメねえちゃん」でおなじみのサメンバーさん待望の新刊です。

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なんと『サメンバーレポート』#4は「表記ゆれ」という肺腑を突く特集なのです。ここでは表記ゆれは校正の立場からではなく言語学的に考えられています。「あることばで表記ゆれが観察されたとしても、それが意味の差異に対応してかきわけられているばあい、多義語における内部のゆれなのか、同音類義語における表記の対立なのかで、表記ゆれかどうかがきまる。後者のばあい、表記ゆれは存在しないとかんがえる」というような論調なのです。それにしても、ああ、表記ゆれさえなかりせば……春の心はのどけからまし……

文学フリマ収穫(その3)

その3はサークル「管弦楽団 響」さんの「クラシック冥曲案内 ハズす側の論理 ハース版最終稿」。アマチュアオーケストラで活躍されている方の本です。軽妙な文体でクラシックの名曲と名盤を紹介しています。

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執筆者の一人のお嬢さん(表紙画担当、通称画伯)がお絵描きしながら売り子をやっていて、本を買うともれなく出来立てほやほやの作品をくれます。

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本の最後に載っている画伯のプロフィールからかいつまんで引用すると「2010年生まれ。5歳からピアノをはじめ、発表会での演奏は『元気でかわいい』と高い評価を受けている。名探偵コナンが大好きで映画は全作品10回以上見ている」

文学フリマ収穫(その2)

文学フリマ収穫のその2は、柿内正午さんという方の「プルーストを読む生活」。

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これは何というか、ひょんなことから『失われた時を求めて』(井上究一郎訳)全巻を買ってしまった青年が、毎日少しずつそれを読みながらしたためている日記です。

といっても内容はプルーストと関係ないことのほうが圧倒的に多い。作者のnoteを見るとすでに全巻読み終わっているようですが、この本は第一巻ということでその前半のゴモラまで。素人離れした文章のうまさで心地よく読めます。ちょっと植草甚一を思わせるところもあります。

文学フリマ収穫(その1)

日曜の文学フリマに買い専で参加してきました。

収穫その1としてご存知噴飯文庫の新刊。いつもそうですが商業出版してもおかしくないほどのクオリティです。

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表紙がすばらしいですね。吉邨二郎という人の絵だそうです。どこからこんな絵を見つけてくるのか……恐るべし附属幻稚園。

まだ読み始めたばかりですが、噂にたがわず誰もが先を争うように発狂している感じです。志賀光子「自動車と婚約した男」が某有名フランス古典怪談の換骨奪胎でしかもパワーアップ大発狂しててビックリ。しかしこの換骨奪胎は非常に秀逸。まさかこう来るとは!

ゲラ紛失譚

エイリア綺譚集

エイリア綺譚集


もうすぐ『イヴ』の再校ゲラが来るはずだ。来たら赤字を入れて送り返すのだけれど、こんなときいつも思うのは「これ途中で紛失したらどうしよう」ということだ。

わがゲラはたいてい赤字が死ぬほどたくさん入るので、もし紛失したら記憶で全部再現できる自信はない。だから翻訳を始めてしばらくの間は念のために全ページスキャンしてから送っていた。だが面倒なので最近はやっていない。もっとも幸いにして、今までゲラがなくなったことは一度もない。

「ガール・ミーツ・シブサワ」という小説がある。主人公は女性編集者で、開巻一ページ目でゲラが紛失する。それも著者校の入った赤字ゲラである。うわっまずいな見つかるのかな、見つかればいいなあと他人事ながら心配になる。でも場面はたちまち変わって学生時代のいじめの話になり、その後の展開はもはやゲラどころではない。結局最後までゲラはどうなったのかわからない。見つかったのかな。見つかったらいいんだけれど。いやそういう小説でないのは重々承知はしているけど……

驚愕の十文字

ジャーゲン (マニュエル伝)

ジャーゲン (マニュエル伝)


「マニュエル伝」美麗内容見本がわが家にもやってまいりました。そしてそこに驚愕の十文字があったのでございます。

本シリーズの特色にいわく「豊富で詳細な訳註あり」。えっ?

聞いてない! ぜんぜん聞いてないよ! やたらに註を入れるのはNさんだけの道楽だと思っていたのに、それがいつのまにかシリーズ全体に押し広げられているではあ~りませんか。Nさんの暴走を心優しいIさんが止められなかったのか、それともその逆なのか、いずれにせよ、シリーズ全体の方針をそうするというのなら、いきなり内容見本で謳う前に、事前に相談が欲しかったねえ。

泡を喰って二ページしかなかった『イヴ』の註を急遽増量しましたが、これで読者の皆さんに「豊富で詳細」と思っていただけるかどうかははなはだ疑問といえましょう。

わが解説作法

推理小説にはたまに「読者への挑戦」というものが挿し挟まれている。つまり、手がかりはすべて与えたから犯人を当ててみろと作者が読者に挑戦しているのだ。

拙豚はこういう挑戦は受けて立つほうである。紳士たるもの、白手袋で頬をはたかれれば拾わざるをえまい。なになに……スペイン岬のテラスで色男がすっぱだかで真夜中に殺されていたと。服はどこにもないと……うーんと……よしわかった! 犯人は〇〇嬢。殺された色男は実はすごい変態で、〇〇嬢のブラジャーとパンツをいつも身につけていた。〇〇嬢は色男を殺したあと裸に剥いて自分の下着を回収した。パンツだけ無くなってるのは変だから服は全部持って帰った。謎はすべて解けた!……と思って解決篇を読むと真相にかすりもしていない。

ボルヘスはどこかで、エドガー・アラン・ポーは推理小説を発明したばかりでなく推理小説の読者をも発明したと書いていた。つまり、表面に書かれたこととは別に真相があると信じ、文中の手がかりからそれを見つけだそうとする読者である。まさしく拙豚などもポーによって発明された読者であって、病膏肓に入りまくって、ふつうの小説を読むときにも推理小説的にしか読めなくなった。つまり小説というのはすべからく(誤用)本文全体が問題篇で解決篇はどこにもない推理小説であるとしか思えなくなった。ちょうど東野圭吾の『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』みたいな。

だから訳書の解説を書くときにも、エラリー・クイーン(探偵のほうの)になったつもりで自分の推理を語るわけである。今度の『イヴ』の解説もそんな風に書いてしまったが、「殺された色男は実はすごい変態で……」みたいなことを得得と語っているのではないかと内心少々不安でないこともない。