ゲラ紛失譚

エイリア綺譚集

エイリア綺譚集


もうすぐ『イヴ』の再校ゲラが来るはずだ。来たら赤字を入れて送り返すのだけれど、こんなときいつも思うのは「これ途中で紛失したらどうしよう」ということだ。

わがゲラはたいてい赤字が死ぬほどたくさん入るので、もし紛失したら記憶で全部再現できる自信はない。だから翻訳を始めてしばらくの間は念のために全ページスキャンしてから送っていた。だが面倒なので最近はやっていない。もっとも幸いにして、今までゲラがなくなったことは一度もない。

「ガール・ミーツ・シブサワ」という小説がある。主人公は女性編集者で、開巻一ページ目でゲラが紛失する。それも著者校の入った赤字ゲラである。うわっまずいな見つかるのかな、見つかればいいなあと他人事ながら心配になる。でも場面はたちまち変わって学生時代のいじめの話になり、その後の展開はもはやゲラどころではない。結局最後までゲラはどうなったのかわからない。見つかったのかな。見つかったらいいんだけれど。いやそういう小説でないのは重々承知はしているけど……

驚愕の十文字

ジャーゲン (マニュエル伝)

ジャーゲン (マニュエル伝)


「マニュエル伝」美麗内容見本がわが家にもやってまいりました。そしてそこに驚愕の十文字があったのでございます。

本シリーズの特色にいわく「豊富で詳細な訳註あり」。えっ?

聞いてない! ぜんぜん聞いてないよ! やたらに註を入れるのはNさんだけの道楽だと思っていたのに、それがいつのまにかシリーズ全体に押し広げられているではあ~りませんか。Nさんの暴走を心優しいIさんが止められなかったのか、それともその逆なのか、いずれにせよ、シリーズ全体の方針をそうするというのなら、いきなり内容見本で謳う前に、事前に相談が欲しかったねえ。

泡を喰って二ページしかなかった『イヴ』の註を急遽増量しましたが、これで読者の皆さんに「豊富で詳細」と思っていただけるかどうかははなはだ疑問といえましょう。

わが解説作法

推理小説にはたまに「読者への挑戦」というものが挿し挟まれている。つまり、手がかりはすべて与えたから犯人を当ててみろと作者が読者に挑戦しているのだ。

拙豚はこういう挑戦は受けて立つほうである。紳士たるもの、白手袋で頬をはたかれれば拾わざるをえまい。なになに……スペイン岬のテラスで色男がすっぱだかで真夜中に殺されていたと。服はどこにもないと……うーんと……よしわかった! 犯人は〇〇嬢。殺された色男は実はすごい変態で、〇〇嬢のブラジャーとパンツをいつも身につけていた。〇〇嬢は色男を殺したあと裸に剥いて自分の下着を回収した。パンツだけ無くなってるのは変だから服は全部持って帰った。謎はすべて解けた!……と思って解決篇を読むと真相にかすりもしていない。

ボルヘスはどこかで、エドガー・アラン・ポーは推理小説を発明したばかりでなく推理小説の読者をも発明したと書いていた。つまり、表面に書かれたこととは別に真相があると信じ、文中の手がかりからそれを見つけだそうとする読者である。まさしく拙豚などもポーによって発明された読者であって、病膏肓に入りまくって、ふつうの小説を読むときにも推理小説的にしか読めなくなった。つまり小説というのはすべからく(誤用)本文全体が問題篇で解決篇はどこにもない推理小説であるとしか思えなくなった。ちょうど東野圭吾の『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』みたいな。

だから訳書の解説を書くときにも、エラリー・クイーン(探偵のほうの)になったつもりで自分の推理を語るわけである。今度の『イヴ』の解説もそんな風に書いてしまったが、「殺された色男は実はすごい変態で……」みたいなことを得得と語っているのではないかと内心少々不安でないこともない。

魔界参入

f:id:puhipuhi:20191102164947p:plain


ついにわが陋屋にも到来した美の司祭四人の饗宴! 漏れ聞く噂によれば、白玉楼中で憩っていた澁澤を降霊術でむりやり召喚して作品選択をさせたのだという。えらい迷惑な話のような気もする。たぶん「まあ蔵書目録や伝記の恩もあるからな」としぶしぶ応じてくれたのだろう。

鏡花はいままで敬して遠ざけていたのだが、国書刊行会特有のすばらしいフォントと版面で、しかも総ルビでとなると、無視できるはずもない。この機会に世評高い魔界へと参入することにしようと思う。

『幻想と怪奇』の思い出


半世紀前の雑誌『幻想と怪奇』の傑作選が出るという。なんという素晴らしい企画ではないか! 今の人には『幻想と怪奇』は、われわれにとって『新青年』がそうだったような、名のみ聞く伝説の雑誌と化しているのではと思う。

この雑誌を知ったのは、たしか高校一年のときだった。山岳部に入っていたN君というクラスメートがいて、この男がある日飯盒を買う金が足りなくなり、第二号「吸血鬼特集」を200円でわたしに売りつけたのだった。

ここで一読たちまち大感激!となったならば話はうまくつながるのだが、記憶をたどってみるとあまりそうでもない(笑)。高校のときは実は岡山にいた。岩井志麻子先生によって有名になった「ぼっけえ、きょうてえ」というような言葉が日常的に聞こえるところである。また当時は金光教や黒住教がふつうに活動してして、バス停でバスを待っているとモラロジーの人がパンフレットを手渡してくれるような土地柄だった(今はどうなっているか知らない)。

ちなみに金光教はSF作家のかんべむさしが信者で、入信への経緯などを綴った『理屈は理屈 神は神』という本を書いている。狂信者臭もSF臭もなく、好ましい距離を保ちつつ心境が淡々と記されている好著である。どこかで復刊しないものだろうか。それから『子不語の夢―江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の超絶注釈が一部で絶賛の嵐となった村上裕徳さんも、今は金光教の住職か何かをやっておられるらしい。

閑話休題。そこで何を言いたいかというと、当時は、ウェイクフィールドとかそういう聞いたこともない作家を大仰に褒め称える「幻想と怪奇」のトーンに、教祖様を崇めるマイナー宗教の雰囲気を感じとっていたのだ。そこで「これはうかつに近付かない方がいいかもしれない」と警戒信号が灯った(笑)。だがそれでもキャベルの「月蔭から聞こえる音楽」とハートリーの「コンラッドと龍」にはたいそう感服し、「敵ながらあっぱれ」と思ったものだ。

その後いろいろあって全冊が手元に揃った。その話はまたいつか。

外国語内外国語

ギリシャ棺の謎【新訳版】 (創元推理文庫)

ギリシャ棺の謎【新訳版】 (創元推理文庫)


外国語で書かれた小説の中に、別の外国語が入っていることがある。たとえばエラリー・クイーンが会話の中でラテン語の引用句を挟むような場合である。たまたま手元にある本で例をあげると『ギリシア棺の謎』の第十二章でLa patience est améreなんとかかんとかとフランス語をつぶやくような場合だ。

今ではエラリー・クイーンくらいにキザな人間でもないかぎり、こんな恥ずかしいことはやらない。しかしフランス語が貴族の嗜みであった帝政時代ロシアの小説なんかではひんぱんにそういうのが出てくる。

こういうものの訳し方は、大きく分けて五通りあると思う。

  1. たとえば”ergo"の場合、"ergo"とそのまま訳文でも書き、「エルゴ」とルビをふって、割注で(故に)と説明する方法。上にあげたクイーンの井上勇訳はこの方式である。
  2. 訳文では「故に」と訳して書き、「エルゴ」とルビを振る方法。たぶん今はこの方法が主流だと思う。
  3. 「ユエニ」と、外国語部分の訳文をカタカナで書き、そこが外国語であることを匂わす方法。ロシア文学の古い翻訳で、会話中のフランス語を処理するときなどによく見られる。
  4. 「『故に』と彼はラテン語で言った」という風に説明的に訳す方法。たまに見かける。
  5. 単に「故に」とだけ訳し、原文がラテン語であることは訳文には表わさない方法。ことさら外国語であることを意識させないくらいにその国の言葉に溶け込んでいる表現の場合はこれで十分(たとえば「アプリオリ」など)。


拙豚はといえば、むかし井上訳でクイーンを読んでいた時、「エラリークイーンかっこいいなあ」と感銘を受けたせいもあって、自分の翻訳でも1の方式を愛用している。ただし読み方のルビは間違えると恥ずかしいので省略している。ペルッツの『林檎ちゃん』のときも、かなり長いフランス語が出てくるが、やはりこの方式にした。ただこの方式だと、原文と訳文が簡単に対比できるため、誤訳したときは一目瞭然になるという欠点もある。

『怪奇骨董翻訳箱』だと「コルベールの旅」にフランスかぶれの商人が出てきて、この人がやたらめったら会話にフランス語を混ぜる。このときも1方式で訳したのだが、そのゲラを見た局長と少し議論になった。局長は2方式にしないかというのだ。

このときはさすがにかなり迷った。1方式でやると日本語の文章にやたらに横文字が混じり、横文字のアルファベットと割注の小活字で版面がグシャグシャになって、見るからに汚らしくなるからだ。2のルビ方式にすれば、それほど汚くもなくなる。

しかし「ラ・パアシアンス・エ・タメール」などとカタカナでルビを振っても、フランス語を知らない人には念仏にしか聞こえないだろうし、逆にフランス語を知っている人にとっては、たどたどしいカタカナ書きより原文をそのまま書いた方がいいだろうと思った。

それからこのフランスかぶれ商人のキザぶりを表わすには、やはりフランス語をそのままアルファベットで書いて、異物感を強調したほうがよかろうではなかろうかとも思い、結局そのまま押し通したのだった。しかしこれについては今でも「これでよかったのだろうか」と迷っている。

ということで、『イヴ』の場合はそれほど異物感を強調する必要もなかろうと思っておおむね2方式にした。

篠沢教授のチンチンチン

今回の『イヴ』の翻訳で一番の難関だったのが冒頭のソネットの翻訳である。「だった」とつい過去形を使ってしまったが、初校ゲラ時点ではあまり決定稿という感じはしない。とはいえ『ジャーゲン』冒頭にある謎の五行詩ほどは難しくはないと思うから、ここで怯むわけにはいかない。

このソネットの読解には、僭越ながら、故・篠沢秀夫学習院大学名誉教授の「チンチンチン」というシステムを使わせていただいた。教授はこのシステムをマラルメの「処女であり、生気にあふれ、美しい今日」(篠沢訳では「無垢にして根強く美しき者は今日」)の解読に用いている。その解読過程の講義は『篠沢フランス文学講義Ⅱ』に収録されている。この本を読んだのは大昔のことだが、「詩とはこういうふうに読むのか!」と目を開かれるような体験だった。


f:id:puhipuhi:20191017180056p:plain


この「チンチンチン」というのはどういうシステムかというと、上の画像にあるとおり、後続のあらゆる可能性を考えながら一語ずつ区切って非常にゆっくり読んでいくというやり方である。マラルメの例でいえば、冒頭のvierge(処女)が名詞か形容詞かというところから話がはじまり、それが鈴木信太郎訳の「美しい今日」と篠沢訳の「美しき者は今日」との差に及んでいく。われわれはつい先ず全体を読んで、だいたい何を言っているかを知ろうとしがちだが、それではかえってわからなくなる場合もあるのだ。