『真夜中の伝統』と『金狼』


 
数人の男女に文面が同じ手紙が届く。「これこれの時間にどこそこに来てください」と書いてある。そして行かざるをえなくなるようなことも書いてある。たとえば「あなたは遺産の相続人になりました」とか、あるいはある種の恐喝であるとか。

そのように集められた、一見無関係と思われる人々のあいだで、やがて事件が起こる。誰が何の目的でそんな手紙を書いたのか?

これは推理小説の一つの定型である。いちばん有名な例はおそらくクリスティの『そして誰もいなくなった』であろう。日本作家によるそのヴァリエーションを思いつくままにあげれば、佐野洋の『貞操試験』、天藤真の『殺しへの招待』、乾くるみの『リピート』……。探せばきっとまだまだあるだろう。

そしてうれしいことに、マッコルランの『真夜中の伝統』もこの定型を堂々とふまえている。「お主なかなかやるな」という感じがする。

なぜこの小説に『真夜中の伝統』というタイトルが付けられたのかは、解説にその推測が書かれている。しかしもしかしたら推理小説のこの定型を踏まえたことを、作者はややシニカルに自虐的に「伝統」という言葉で表したのかなという気もちょっとする。それほどこれは伝統的な推理小説のプロットに沿っている。

ここでは五人の男女が、「あなたは遺産の相続人になりました」という差出人不明の手紙あるいは電話をもらって、パリのあるひなびた酒場に集合する。しかし手紙の主は約束の時間になっても来ない。そればかりか酒場の主人も姿を見せない。不審に思って二階にある主人の部屋に押し入ると、主人はすでに殺されていた。

警察の調べによると前の晩にはすでに殺されていたらしい。そしてたんまり貯め込んでいたらしい現金はスッカリ姿を消していた。さて、犯人は集められた五人の中にいるのか。それとも?

江口雄輔氏の指摘によれば、久生十蘭の(十蘭名義での)長篇第一作『金狼』は、この『真夜中の伝統』を下敷きにして書かれたそうだ。なるほど舞台を日本に変えてはいるが、ストーリーとキャラクターはほぼ同じである。笑ってしまうくらいに同じである。ただ犯人の設定が違う。十蘭のほうが一ひねりひねって(Turn of the screw!)、より推理小説的に仕上げている。そしてもう一つ大きく違うところがあるのだが、テーマの根幹に触れることなのでここには書けない。

また『金狼』のほうが、人間性の卑俗の中の高貴ともいうべきものがうまく描かれていて、その分ラストの悲劇性が濃い。換骨奪胎の名手十蘭の面目躍如といえよう。