クラサカ風の館

 
 倉阪鬼一郎さん、日本歴史時代作家協会賞受賞おめでとうございます! 今日はそれを祝してクラサカ風の館の話をしましょう。
 
 倉阪さんのミステリの中には「立派な館かと思ったら実は〇〇だった」というのが何冊かありますが、実はこういう館は現実にもあるのですよ。少し前に待望の翻訳が出たマリオ・プラーツの『生の館』がそれを赤裸々に実証しております。
 
 この『生の館』は一種の奇書といっていいかと思います(まあプラーツの本は全部そうなのですが)。「玄関ホール」「食堂」「リッチ広場に面した寝室」というふうに、各部屋について一章があてられ、おのおのの部屋にある家具を説明しながら過去の思い出話を語るといった構成になっています。いろいろ面白いエピソードがあって、たとえばヴァーノン・リーが意外に世話焼きで面倒見のいいおばさん(失礼!)だったこともこの本でわかります。

 しかし語り方が独特で、ちょうどグロテスク様式の模様が人や植物や動物を縺れあわせつつ壁を覆いつくすように、この本ではアンティーク家具と人生の挿話があやめも分からないようにつながって描写されていて、一大奇観とでも称すべき状態になっています。タイトルの『生の家』はもしかすると『生すなわち家』という意味も込めているのかもしれません。

 この本には各部屋の写真も添えられています。たとえば大広間はこんな感じです。

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 いかにもあの『ロマンティック・アゴニー』を書いた人の家だなあという印象を受けるではありませんか。こういう贅沢に慣れていないわたしが見ると色彩感覚がどことなく変で吐き気のようなものさえこみあげてくる気がします。普通の意味での「趣味のいいインテリア」とは言えないのではありますまいか。とくにシャンデリアは、人さまの家をどうこう言うのは無作法ではありますが、ちょっと恥ずかしい気がしなくもないですが皆さんどう思いますか。

 まあそれはそれとして、肝心なのは終章の「ブドワール」です。そこにはこんなことが書いてあります。

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 つまり隣家に接した部屋は、壁が薄いために、そこの住人である警察官夫婦の「あさましくて下品で不快な」けんかの声が筒抜けだというのです。騒音ばかりか煙草の匂いまで侵入してくるというのですから、かなりの安普請のような気もします。どうです、実にクラサカ的な館ではありませんか。いままでの豪勢な描写は、実は叙述トリックだったのでは? という感じさえしてくるではありませんか。

 
 おうそういえば、プラーツも垂涎のアンティーク机で校正されたらしい拙訳書が、奥付の記載によれば来月発売されることになっています。乞うご期待!