ベルギーのペルッツ?


 

ベルギー幻想小説の世界は、ジャン・レイやトマス・オーウェンなどごく一部を除いてはまだまだテラ・インコグニタが広がっている。つまり本邦未紹介の作品がやたらに多い。それでもワロン語(≒フランス語)圏はまだましで、フラマン語(≒オランダ語)圏となるとまったくの未踏の荒野といっていい。かくいう自分もオランダ語に習熟したあかつきには、フラマン語圏幻想小説のせめて三作くらいは翻訳紹介したいと思っているのだが、生きているうちにできるかどうか……

さてこの『時間への王手』は、ワロン語圏幻想作家マルセル・ティリーが1945年に発表した作品で、おそらく初の長篇邦訳である。一読して「この人はベルギーのペルッツではないか」と思った。歴史上の奇譚をあつかう手つきにペルッツを思わせるものがある。

主人公は事業不振で破産した鉄鋼商ディウジュ。彼はいま独房にいて、自分の数奇な体験を回想している。その回想によると、ふと思い立ってやって来たベルギーの海岸地オステンデで、彼は学生時代の旧友アクシダンに再会したという。アクシダンの紹介でディウジュはイギリス人の科学者ハーヴィーを知る。

ハーヴィーの先祖はウェリントン麾下の一兵士であった。この先祖はワーテルローの戦いでナポレオン軍と戦ったとき、ナポレオンに勝利を許した元凶として非難されていた。それをどうしても承服できない彼は、時間をさかのぼる機械を独力で作り上げた。(もちろんわれわれの知る史実では、ワーテルローの戦いでナポレオンはウェリントンに敗北している。だがディウジュの回想によると、もともとナポレオンは勝利していたのだが、ハーヴィーが歴史を動かした結果、われわれが今知るようにナポレオンは敗北したのだという)

ここで問題になるのは、この主人公ディウジュの回想全体が事実なのか、あるいは妄想なのかということだ。いわゆる「信頼できない語り手」である。なにしろ過去を書き換えたおかげで、証拠はきれいさっぱり消えてしまっている。妄想か事実か、どちらとも決め手はない。

だが今のSFに慣れた目で見ると、看過しがたいタイム・パラドックスが放置されていて「その嘘ホント?」と言いたくならないでもない。

どれだけ悔恨してもしきれない過去の事実を、途方もない妄想を膨らませて埋め合わせようとする衝動は、『最後の審判の巨匠』や『聖ペテロの雪』を思わせるものがある。その「過去を承服できない気持ち」は、事業を傾かせた主人公にもともとあったのだが、それが同様の感情をかかえたハーヴィーや下宿の管理人リザへと、主人公の妄想の中で分裂したのではあるまいか。

なかでもリザのエピソードは哀切で、しみじみと作品世界にひたれるこの小説の効果をひときわ高めている。