中井英夫「鏡に棲む男」フランス語朗読

 本多正一さんから、フランス語版「鏡に棲む男」の朗読がYouTubeにアップされたことを教えてもらいました。これはなかなかのものですよ。
 
www.youtube.com
 
ちなみにテキストはここにあります。「これがこの人間世界にあっていいことなのか……」という藤木田老の呟きを繰り返したくなる昨今ですが、この朗読を聞きながら人外境に思いをはせてみてはいかがでしょう。

大辞典への感謝

ここ一年くらい、毎日のように白水社の『スペイン語大辞典』のお世話になっていた。本体25,000円という国書刊行会もビックリの価格だがそれでも割安という感じしかしない。この辞書の特色はなんといっても中南米で使われる意味を丹念に記述していることだ。これにはどんなに感謝しても感謝しきれない。

ところで日々引き倒しているうちにこんな単語さえ拾っているのに気づいた。
  

 
よく探せば「ジカパイ」とか「ブドウ狩り」*1にあたるスペイン語も載っているかもしれない。なかなかあなどれない辞書である。
 

*1:『龍彦親王航海記』を参照のこと。『食物漫遊記』でも可。

ジャリ全集いよいよ刊行!

 『骸骨』、『人狼ヴァグナー』、『「探偵小説」の考古学』、『マルペルチュイ』、『高原英理恐怖譚集成』と、最近の国書刊行会は重量級の本ばかり立て続けに刊行している。「誰が一番分厚い本を出すか」という社内コンクールでもやっているのだろうか。東野圭吾の昔の短篇集『超・殺人事件』にそんな話があったけれど、まさかそれを実地にやる会社があったとは……おそるべし国書!

 だがここにとつぜん、優勝をかっさらっていきそうな超ダークホースが現れた。あの『ジャリ全集』である。あの、はるか昔から噂だけが先行していた『ジャリ全集』がいよいよ本年中に刊行という確かな情報が入ってきたのだ。全一巻というから、きっとあのシュオッブ全集をしのぐ厚さになるだろう。なにしろシュオッブは短篇しか書いてないのに、ジャリは何冊も長編を書いているのだから。

 こいつが出たらシュオッブにも劣らぬセンセーションが起きることは間違いない。何を間違ってか20世紀フランスに生まれてしまった古代ローマの闘士の摩訶不思議な作品群をとくとご照覧あれ。

不幸の手紙異聞

翻訳が滞る訳者に不幸の手紙を送りつけるという、社名は厳秘のとある出版社であるが、先日さらにおそろしい話を聞いた。何十年も前に亡くなった人を降霊術で呼び出してさる文豪の傑作選を編ませるとか、空飛ぶ円盤を真面目に考察した本を出すとか、蠟でできた本を骸骨の人が出すとか、帯が伏せ字になっているとか、全宇宙が待望しているとか、不審な噂が絶えないのだが、先日ついにその報いが来たのか、アルゼンチンからエージェント経由で不幸の手紙が舞い込んだという。

アルゼンチンといえば、月刊ムーの記事によれば、ナチスの残党がUFOの秘密基地を作っているらしい。さらに武田崇元氏によれば、UFOの建造にはアルデバラン星人が協力しているという。これは大変なことになった。まごまごしてるとアルデバラン星人の円盤が社の上空に飛来してしまう。何かが空を飛んでいる本*1なんか出すんじゃなかった! と思ってももう遅い。

おそるおそる手紙を開けてみると、あにはからんや、「お前のところの本の装丁はすばらしい!!!」という大絶讃の手紙だった。一同はほっと胸をなでおろしたという。
 

*1:別に提灯を持つわけじゃないですが、これは百年に一度の名著ですよ。言葉では表現できないものをギリギリ言葉で表現しているのがすばらしい

現代科学で解明できない念波

『あくび猫』には不幸の手紙のことばかり書いてあるわけではない。「本は積んでおくだけで勉強になる」とも書いてある。


 
 
この怪現象の説明として、積んだ本からは現代科学では解明できない念波が出ていて、それを受信することで脳細胞が活性化されるのだと一般に言われている。読まない本も買わせようとする出版社の陰謀から生まれた説のような気もしないでもないが、あながちそうでもないらしい。

現代科学では解明できないというのだから、これはおそらく西洋医学に対する東洋医学のようなものなのだろう。鍼や灸の原理が西洋医学では解明できないからといって、ただちに鍼や灸が無効であるとはいえないようなものだ。

たとえば盲目なのに身辺に多量の本を置いていたボルヘスは最晩年(85歳!)にいたっても知力が衰えていない。逆に荷風は偏奇館から焼け出されてアパート住まいになるととたんに冴えなくなり、誰だったかに「敗荷落日」と罵倒されるという事態も生じている(ひどいですよね敗荷落日なんて。自分はこの件については断固荷風の味方である。お前もいっぺん焼け出されてみろと言いたい)。それはともかく、かくの如くこの念波説には相当な事実の裏付けがある。

現に自分も周りにたくさん本がないと何も書けない。まあ翻訳なら辞書だけあればできるかもしれないが、その翻訳の解説を書くとなると本なしにはまったく無理である。といっても身辺の本を読むわけではない。存在するだけでよいのである。念波受信説を支持するゆえんである。

さらに一日たつと

 
 さらに一日たつと、倦怠感はなくなり、熱も平熱に戻り、筋肉痛も触れば痛い程度まで和らいできた。すると現金なもので、なんとなくあと20年は生きられそうな気がしてきた。ということは、運がよければレムコレクション第二期の完結をこの目で見られるかもしれない。まことにめでたいことである。

 ところで南條竹則氏の『あくび猫』という本によれば、特に名を秘す某社では、入稿の遅い翻訳者に不幸の手紙というのを送って呪い殺しているらしい。恐ろしいではないか。
 

「過去何人も訳者を殺してるって噂だから」

 
 でもこの文明開化の世の中にまさかそんなことが。きっとフィクションに違いない、と思って、念のため某社に「あのうこんなことが書いてあるんですが……」と恐る恐る問い合わせてみたら、「あそこに書かれていることはすべて事実です」と回答が返ってきた。何ということであろう。ああそういえばあの人もこの人も、最後の訳書はここから出ていた……

 しかしおそらくは不幸の手紙を何十通も送り付けられているに違いない〇ャ〇・プ〇〇〇キー『大〇〇』とかマ〇ー・ボ〇〇〇〇『エ〇〇ー・〇ー』の訳者の方々はいまだご健在のようだ。きっと鋼鉄のような神経をお持ちなのだろう。

 まあでもSF担当スタッフは何しろSFだからサイエンスで未来であるにちがいない。呪殺なんて野蛮で前近代的なことはきっとやらないだろう。刊行が少々遅れても仕方ないのかもしれない。

科学技術大全

 拙豚の住むC市では先般60歳から64歳の者にもワクチン接種券が送付された。幸い予約も取れたのでさっそく昨日第一回目を打ちにいった。ファイザーである。

 副反応が出ると聞いていたが昨日の段階では何もなかった。だまされて実は食塩水か何かだったのかと思うくらいに。ところが今朝になると、体がだるくて起きられない。いつもは6時ごろ起きるのが今日は9時過ぎにやっと起き上がった。肩も筋肉痛で痛む。それでも熱がないのは何よりと思っていたら、昼過ぎになって37.0度くらい出てきた。微熱といえば微熱である。でもこれからどうなるのであろうか。

 正直にいうと、もし今40歳くらいだったならワクチンを打つかどうかわからない。しかし高齢だとそれなりのコロナのリスクもあるし、仮にワクチンの副作用で障害が残ったとしても、どうせ老い先短い身なので、それはそれで仕方ないかなという気持ちもある。

 老い先短いといえば、「スタニスワフ・レム・コレクション」第2期の刊行が宣言された。これはめでたい!
 
 しかしあえて言おう。担当が沼野充義氏と国書T氏のゴールデンコンビだとすると、拙豚が生きているうちに全6巻が完結することはないだろう。このカシオミニを賭けてもいい。
 
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このカシオミニを賭けてもいい!

 あと例の『科学技術大全』は入るんだろうか。もし拙豚に翻訳させてくれるのなら一年くらいで仕上げられると思うのだけど~ もちろんポーランド語は全然できないので独訳と英訳からの重訳になるけれど。

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独訳と英訳

神崎繁旧蔵書

 数年前惜しまれながら早すぎる死を迎えた神崎繁の旧蔵書がヤフオクにどちゃっと出るという噂を聞いて及ばずながら参戦した。

 当日はあんのじょう壮絶な争奪戦が繰り広げられたのだが、拙豚はあんまり目立たない一山ものに的を絞り、おかげで「51冊一括」というのと「76冊一括」というのと「38冊一括」というのを落札できた。落札価格は合計で18,588円であった。一冊あたりにすると113円くらいになる。
 
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 ほとんど福袋みたいなもので、中身が何かもろくに知らずに入札したのだが、あとで調べてみるとクルト・パウル・ヤンツのニーチェ伝三巻本が混じっていたのでちょっと嬉しかった。『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』の冒頭近くで引用されていた本である。

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おまけに引用されていた箇所に紙が挟まっていたのでますます嬉しくなった。といっても共感してくれる人はあまりいないだろうけど。

 ところでこういうことを日記に書くと、「そんなに買って読む時間はあるのか」とか「本当に全部読むのか」とたずねる人がいる。これは天下の大愚問といっていい。なぜか。

 なぜかというと、拙豚くらいの年寄りになると、何を読んでも、読んだとたんにたちまち忘れてしまう。だから読んでも読まなくても同じなのである。C.L.ムーア描くところのシャンブロウは「アカルイ、クライ、アタシニハオナジ」と言うが、拙豚の場合は「ヨンダ、ヨマナイ、アタシニハオナジ」なのである。

 どちらも結局同じなのならば、読んだか読まないかを問うことにどれだけの意味があるだろう。言うまでもなく、まったく何の意味もない。大愚問たるゆえんである。

 「読んでも読まなくても積読」これがわが座右の銘なのである。

発売即重版!

『裏切りの塔』(創元推理文庫)の重版が決定したそうです。実にめでたい! なぜわたしが知っているかというと、畏れ多くもこの本の解説を書いているからなのですよ。
 
 
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 これが出たのが先月末だから、二週間足らずで重版が決定したことになります。かなり猛烈な勢いで売れているようです。これはきっとチェスタトンの人気がいまだ根強いということなのでしょう。この勢いに乗って他のチェスタトン作品も南條訳で出してくれれば非常にありがたいのですが。

訳詩ことはじめ

 何の因果か訳詩を大量にするはめになった。長く生きているといろいろ珍しい経験をするものである。

 まず思い知ったのは訳詩というのは不可能な企てだということだ。意味だけ訳しても何にもならない。古代ギリシアである哲学者が「人間とは二本足の羽のない生き物である」と言ったら、別の哲学者が「ではこれが人間なのか」と毛をむしったニワトリを持ってきたということだ。「意味だけ訳した訳詩」というのはこの毛をむしったニワトリを思わせるところがある。これが人間ですって言われてもねえ……足が二本だからいいってもんじゃないでしょ…………とか言いたくなるではないか。

 まあそりゃ世の中には、齋藤磯雄の『近代フランス詩集』みたいな驚嘆すべき偉業があることはあるのだけれど、結果だけ見せられても、「どうすればこんなふうにできるのか」というのがまったくわからない。

 そこでいろいろ試行錯誤したあげく、「こうすればうまくはできないかもしれないけれど、ものすごくひどい失敗はしない」という我流の手を編みだした。それを心覚えに書いておこう。

 どういう手かというと、まずリズムトラックを作るのである。音楽を多重録音するときには、まずベースとドラムスだけのトラックを作って、その上にギターとかキーボードとかを乗せていくのだが、このリズムトラックを、訳詩をするときにもまず作る。

 といっても作るのはリズムみたいなはっきりしたものではなくて、原詩を穴があくほど睨んで、緩急の具合とか、ある行から次の行への移り具合などをよく呑み込む。この段階では詩の意味はあまり考えない。これが自然に体が染みこんだと感じられたときが、すなわちリズムトラックができたときである。運がいいときはこの段階で「もしかするとこの人はホイットマンの影響を受けているのではないか」とか、そういう訳詩上のヒントまでつかめる。

 その上で、リズムトラックにリード楽器を乗せるみたいにして、訳語を乗せていく。その訳語にしても厳密な意味よりはむしろ文字数とか響きの方を重視し、音がリズムトラックから外れないようにする。

 文才がある人がこれを読んだら、おそらく「何かまだるっこしいことをやってやがるな」みたいな感じを受けると思う。しかし才能とは各自与えられたものをスタート地点にするしかない。他をうらやんでもしかたない。「うすいがらすも磨いて待たう」と斎藤史も歌っているではないか。