この輝かしいサインを見よ!

国書刊行会史上初の発売前増刷を達成したという『迷宮遊覧飛行』。前に『アフター・クロード』でアマゾン順位三ケタは初めて見たとこの日記で書いたら、『三ケタなんてしょっちゅうだ!』と版元からお叱りをいただきましたが、さすがに発売前から三ケタというのは初めてではないでしょうか。わたしが見たときは400位くらいでした。

そんなふうに大人気なので、倉敷の蟲文庫にお邪魔したとき、売り切れになっては困ると思ってすかさず予約しました。その際ずうずうしくもサインに為書きをお願いしてしまったのでした。

山尾さんには不義理を重ねていて、『ワルプルギスの夜』の帯の文章を書いていただいたのにろくにお礼の言葉も言っていませんし、日本SF大賞贈賞式にも欠席するし、そして最大の後悔は『記憶の図書館』を献呈しなかったことです。校了のあとで痛恨のエラーが見つかったので、つい献呈を躊躇ってしまったのです。だってほら、中井英夫だって、「捧げものは一行でも腐っていてはならない」と言っているではありませんか。でも今では猛烈に後悔しています。

そんな不義理にもかかわらずサインをくださった山尾さんには感謝の言葉もありません。いずれ捧げものにふさわしい会心の翻訳ができましたら、謹んで供物としたいと思っています。

そしてここからは自慢なのですが、この本にはその『ワルプルギスの夜』の帯の文章も収録されているのですよ。蟲文庫にお邪魔したときも、「これはわたしの翻訳の帯の文章なんです。どうですすごいでしょ」と店主の田中さんにさんざん自慢しまくったので、さぞ「変な奴がキタ――(゚∀゚)――!!」と思われたことでしょう。まあ実際変な奴なのでしかたがないのですが。

J.T.ロジャーズ『恐ろしく奇妙な夜』


 

全国のクラシックミステリファンが首を長くして待ったであろう怪作家 J.T.ロジャーズの中短篇集がついに出た。しかも夏来健次氏の訳で。さっそく一読したが、期待を裏切らない響きと怒り——じゃなくて笑いと驚愕に大満足の一冊だった。

集中の作品の多くは三文パルプマガジンに載ったものだそうで、それかあらぬか、まさにそれ風のいかにもな発端と文章で物語は始まる。むかしむかし国書刊行会から小鷹信光編で出た『ブラック・マスクの世界』所収の諸作品を思わせる出だしである。これに辟易してすぐ投げ出す読者もいるかもしれないが、もう少し読むと、アラアラ不思議、物語は思いもよらぬアサッテの方向に展開していく。

たとえばボルヘスの「死とコンパス」は、「犀利なエリック・レンロットが精根を注いだ多くの問題のうち、ユーカリの芳香がたちこめる別荘『トリスト・ル・ロワ』で最高潮に達した、断続的な一連の殺人事件ほど不可解なものはなかった」というような、三文探偵小説的張り扇調の文章ではじまるが、もちろんこれはパロディとしてワザとやっているので、この次の文章にはコッソリ叙述トリックを紛れこましている。

ロジャーズの「つなわたりの密室」も同じような感じではじまる。「劇作家ケリー・オットは出来の悪い芝居を死ぬほど忌み嫌っていた。だがまさにそのおかげで、ロイヤル・アームズ・アパートメントで起こった殺人事件は迷宮入りにならずに済んだのである」だがロジャーズの場合、三文小説的な書き出しはワザとなのか天然なのか判断に苦しむ。しかし賭けろといわれたら七三の割で「天然」に賭けたい。だって製作総指揮者言うところの「上質誌」に掲載された作品だって、平然と同じ調子で通しているのだから。短い中篇なのに「第一章」「第二章」と章をくぎり、オマケに小見出しまでつける物々しさにも笑わせられる。これも天然の可能性が大である。

しかし、大事なことなので二度言うが、発端は三文小説的でも結末はまったく三文小説的ではない。龍頭蛇尾ならぬ蛇頭龍尾なのである。

もっとも最後の「恐ろしく奇妙な夜」だけは少々トーンが変わっていて、この一冊の中で違和感をかもしている。この短篇だけ他より発表が十年くらい遅いが、そのあいだに作風の変化があったのだろうか。

もう少しだけ構成と文体に意を用いていれば早川の『異色作家短篇集』に入ってもおかしくなかったのに残念——いや残念ではない。これはこれでいいのだ。

積読を避けるコツ

(これまでのお話)『本の雑誌』2月号を読んだプヒ氏は、年が明けてまだ一冊も本を買っていないことを反省した。そこでさっそく本屋に出かけた。そこで買ったのが去年買い逃していたこの本 ↓ である。
 

 
買った本を積読にしないコツ。それは「一度に一冊しか買わない」ことである。特にこのような年寄りが読むには赤裸に恥ずかしい本は、カムフラージュに何かあと一冊か二冊買いたくなるものだ。しかしそんな買い方をするとたいてい積読への片道切符となる。

そこでグッとこらえて、「この本の帯に『しまむら、八歳』って書いてあるけど別にロリコンじゃないですよ」とか口に出して言うとなおさら変になるから、「孫に頼まれたんでしかたなく買うんです」みたいな顔をとりつくろって、『安達としまむら 11』だけをレジに差し出した。

ストーリーは事実上8巻で終わっているので、今回は拾遺エピソードの集積。開巻いきなり安達としまむらのイチャイチャではじまる。


 
他人のイチャイチャしているところを見るのは非常に楽しいというわけではない。どちらかというと気恥ずかしいので、ここらへんは適当にスルーする。しかし全体的にはとても面白い構成になっている。8歳、15歳、18歳、22歳のしまむらの夏のエピソードが断片的に次々語られ、時空連続体というか、あたかもしまむらがタイムスリップを重ねているかのようでもある。やっぱり入間人間は小説うまいなーと思った。中でも22歳のときのエピソード——しまむらが安達を連れて国内旅行(浅草?)に行ったら、中学時代の先輩(女)が金髪で人力車を引いているのにバッタリ出くわし、二人して安達を取りあうシュールなエピソードが最高にいい。

文学フリマ京都御礼

遅くなりましたが 1/15 文学フリマ京都に来てくださった皆様、ありがとうございました。おかげさまで売り上げも上々でした。

今回の京都行きの目的は三つありました。

1.文学フリマに出店する。
2.文学フリマで『蒼鴉城』を買う。
3.烏丸御池駅構内の大垣書店で「地下鉄に乗るっ」グッズを買う。

さいわい1のみならず2と3も達成できました。


 

 
本当は市内の古本屋もぐるぐる見て歩きたかったのですが、いつも泊まっていた京都ガーデンホテルが消滅していたのでやむなくトンボ返り。いいホテルだったのに残念です。コロナが憎い。

来月2月は文学フリマ広島に出店を予定しています。広島出身の津原泰水さん追悼として大々的に店を広げようと思っています。今回の京都では「ド」と「レ」の新刊を出せたので、広島では「ドレミファ」まで出せれば。さらに5月の文学フリマ東京では「ドレミファソラシ」を全部出せれば……

怪異作書教


 

思いがけぬプリンタ不調のため、昨年11月の文学フリマ東京で新刊を断念せざるを得なかったプヒ氏。雪辱戦とばかりに、明日に迫る文学フリマ京都のためにプリンタ新調という暴挙に出た。さいわいブラザーから二万円ちょっとでカラーレーザープリンターが出ていた。

そんなにまでして本が作りたいのか。そうです、不肖わたくし、怪異買書教の信者である前に、怪異作書教のメンバーでもあるのです。作書・グラマティクス——いやなんでもない。

ということで明日の文学フリマでは各20ページの薄い本ですが新刊が2冊でます。予価各500円。品切増刷未定の商業出版物も若干部数持っていきます。では明日はみやこめっせでお会いしましょう。

怪異買書教に入信すべきか

 

『本の雑誌』2月号で喧伝された怪異買書教。その教義はただ一つ——「本を買え。天に届くまで積み上げろ」。そうすれば30年後か40年後に御利益があるという。それから信者の間ではこんまりは人心を惑わす悪魔の使いとされていて、その名を口にするさえ汚らわしいとばかりに、「あの人」としか呼ばれないそうだ(情報ソース:『本の雑誌』)。怖いですね。

幸いまだ社会問題化はしていないようだけれど、信者に多額の出費を強いる宗教であるゆえ、いずれ総理大臣を手製のライフルで狙うような人が出てこないともかぎらない。——あんなに優しかったお母さんが、とつぜん、「本を買え。天に届くまで積み上げろ!」と一声叫んで、読みもしない本を大量に買いだした。これは総理が悪い。総理のせいだ——総理こそいい迷惑である。

不肖わたくしも今入信しようかどうか迷っている。えっ? とっくに入信してるじゃないかって? いえいえそんなことはありませんよ、月百冊なんて買ってないし。それなら何冊買っているかというと、えーとえーと——ああまあそんなことはともかく前非を悔いて今日は何か新年初の本を買って帰ろう。
 

怪異買書教


 

『本の雑誌』2月号の特集は「本を買う!」。特集ページを開くといきなり中野善夫さんが「本を買え。天に届くまで積み上げろ。」と号令している。おそろしく気合が入った特集である。池澤春菜さんの『SFのSはステキのS』に付されたCOCOさんの挿絵をほうふつとさせるようでもある。
 

「見て! これが積読マニアの成れの果てよ!」
「こうなるともう読むよりも積むほうが目的になってるというか」

 
この文章は「本は買わなくてはならない。その人なりのやり方で本を買い、そして積む。それが生きるということではないか」と締めくくられている。

それが生きるということなのか! もはや新興宗教のノリでは。経文は理解できずとも念仏さえ唱えれば救われるというのとあまり変わらないのでは……。ともあれ今年に入ってから一冊も本を買ってない自分などさしずめ人間失格か。ああ、生まれてすみません……

それはそうとすごいといえば日下三蔵さんの連載「断捨離血風録」もすごい。もう一年以上の連載になるのにいまだに断捨離が終っていない。さらにすごいのは本の堆積の中から毎回あっとおどろく(しばしば日下さん自身でさえ驚く)稀覯本が出土されるところ。たとえば今回は同人誌『鬼』の全冊揃いが出てきた。この勢いでいくとそのうち『黒白』全冊揃いや『ウィチグス呪法典』が出てきてもさほど不思議じゃない気がする。

新年早々うれしいニュース


 

新年早々、うれしいニュースが流れてきた。あの伝説の彼方に消えたと思われた工藤幸雄訳『サラゴサ手稿』がついに出版されるという(情報ソースは昨年末の「読んでいいとも年末特別篇」での東京創元社の発表)。

「今二十一世紀に入って最初の訳書がフランス語による怪異物語、ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』の完本(東京創元社、訳稿完成、出版時期未定)」と書かれた工藤幸雄の『ぼくの翻訳人生』が出たのが2004年12月20日。それから二十年になんなんとする歳月が流れている。

もっとも怪奇幻想異端の文学といった分野では二十年は例外的に長い期間では必ずしもない。鮮度が命のベストセラーとはタイムスケールが違う。二十年待つ読者層が存在する。

それにしてもなぜ突然降ってわいたように工藤訳ヴァージョンが復活したのだろうか。

1. I文庫版が増刷を重ねているのを見て羨ましく思った。
2. I文庫版を読んで「やはりサラゴサは工藤訳でなくては」と決意を新たにした。
3.工藤版はI文庫版とはかなり違ったヴァージョンなので出す価値はあると思った。
4.もらった原稿を放置するのは平気だが他社が出そうとするとあせる社風であった。
5.遺族に「出さないんなら訳稿を返してくれ」と言われたが返したくなかった。
6.工藤幸雄の霊が夜な夜な枕辺に出て恨めしい顔をした。
7.大掃除したら紛失していた訳稿が出てきた。
8.自社にそんな企画が存在していたこと自体を忘れていた。

われながらイヤになるくらいの下種のかんぐりだが、ともあれ出版の決断をした版元に最大限の敬意を表したいと思う。

帯の叙述トリック


 

わが家には『箱の中のあなた 山川方夫ショートショート集成』が二冊ある。別に読書用と保存用とかそういうものではない。痛恨のダブリ買いなのである。

昨日、書店で「堂々完成」と帯に書いてある『箱の中のあなた』を見て、「堂々完成」を「堂々完結」と空目して、「おっ二巻目が出たのか」と早合点して、嬉しさのあまりすぐさま買ってしまったのだった。家で中身を見て愕然とした次第。

書店で中を確かめなかったこちらが悪いといえば悪い。しかし「完結」とか「完成」とかの文句は、シリーズが無事に全巻完結してから謳ってもらいたいものだと思った。

叙述とフーダニットの両立

叙述トリックとフーダニットの両立という点で見逃せないのが、依井貴裕のある長篇である。ここではA,B,Cと三つの事件が語られる。ところがそれが叙述トリックで、実際はC,B,Aの順に事件は起こっている。そしてフーダニットの面からいえば、叙述に騙された人(つまりA,B,Cの順で事件が起こったと思った人)も、騙されなかった人も、論理的に犯人を指摘することが可能である。そして騙された場合と騙されなかった場合で指摘できる犯人は違う。これもまた超絶技巧といえよう。

ただ、こう書くとものすごい傑作のような感じがするが、本当にそうかどうかは正直言ってよくわからない。まず親切にヒントを出しすぎて、叙述トリックが早い段階で見え透いてしまう。叙述トリックが見え透くと犯人当ては比較的簡単になる。それからこの長篇にはあともう一つ大きな仕掛けが用いられているのだけれど、それが構成の美しさを損ねている気がしないでもない。その仕掛けが必要なのはよくわかるのだけれど……

それにしても『続幻影城』の類別トリック集成にならって、「類別叙述トリック集成」を編む人はいないだろうか。あるいは天城一の『密室犯罪学教程』にならって、『叙述トリック学教程』を執筆する人はいないだろうか。いやもしかすると、自分が知らないだけで、すでにあるかもしれないが……