J.T.ロジャーズ『恐ろしく奇妙な夜』


 

全国のクラシックミステリファンが首を長くして待ったであろう怪作家 J.T.ロジャーズの中短篇集がついに出た。しかも夏来健次氏の訳で。さっそく一読したが、期待を裏切らない響きと怒り——じゃなくて笑いと驚愕に大満足の一冊だった。

集中の作品の多くは三文パルプマガジンに載ったものだそうで、それかあらぬか、まさにそれ風のいかにもな発端と文章で物語は始まる。むかしむかし国書刊行会から小鷹信光編で出た『ブラック・マスクの世界』所収の諸作品を思わせる出だしである。これに辟易してすぐ投げ出す読者もいるかもしれないが、もう少し読むと、アラアラ不思議、物語は思いもよらぬアサッテの方向に展開していく。

たとえばボルヘスの「死とコンパス」は、「犀利なエリック・レンロットが精根を注いだ多くの問題のうち、ユーカリの芳香がたちこめる別荘『トリスト・ル・ロワ』で最高潮に達した、断続的な一連の殺人事件ほど不可解なものはなかった」というような、三文探偵小説的張り扇調の文章ではじまるが、もちろんこれはパロディとしてワザとやっているので、この次の文章にはコッソリ叙述トリックを紛れこましている。

ロジャーズの「つなわたりの密室」も同じような感じではじまる。「劇作家ケリー・オットは出来の悪い芝居を死ぬほど忌み嫌っていた。だがまさにそのおかげで、ロイヤル・アームズ・アパートメントで起こった殺人事件は迷宮入りにならずに済んだのである」だがロジャーズの場合、三文小説的な書き出しはワザとなのか天然なのか判断に苦しむ。しかし賭けろといわれたら七三の割で「天然」に賭けたい。だって製作総指揮者言うところの「上質誌」に掲載された作品だって、平然と同じ調子で通しているのだから。短い中篇なのに「第一章」「第二章」と章をくぎり、オマケに小見出しまでつける物々しさにも笑わせられる。これも天然の可能性が大である。

しかし、大事なことなので二度言うが、発端は三文小説的でも結末はまったく三文小説的ではない。龍頭蛇尾ならぬ蛇頭龍尾なのである。

もっとも最後の「恐ろしく奇妙な夜」だけは少々トーンが変わっていて、この一冊の中で違和感をかもしている。この短篇だけ他より発表が十年くらい遅いが、そのあいだに作風の変化があったのだろうか。

もう少しだけ構成と文体に意を用いていれば早川の『異色作家短篇集』に入ってもおかしくなかったのに残念——いや残念ではない。これはこれでいいのだ。