『都筑道夫創訳ミステリ集成』の楽しさ

 

 
翻訳を依頼されたはいいけれど、「こんなつまらんものを訳してられるか!」とぶち切れて(かどうかは知らないが)、思う存分好き勝手にストーリーを改変してしまった都筑道夫の「創訳」。かねてから噂は聞いていたが、こんなに面白いとは思ってもみなかった。

当然のことながら原作離れしていればいるほど都筑テイストが利いていて面白い。ほら、たとえば、『三重露出』の中では、過ぎ去った青春時代への哀惜と西洋ニンジャの活劇が代わる代わる出てくるじゃないですか。あんなふうなチグハグなテイストがところどころで顔を出すのですよ。

だからこの本に収められた三篇の中の一番は「銀のたばこケースの謎」だと思う。なにしろ原作には出てこないらしい馬賊まで出てくるのだ。もはやシガレットケースどころの騒ぎではない。


原作には出てこない馬賊

 
子供向けなので恋愛と政治の話題はリライトの段階で割愛するのがこうしたジュブナイルものの原則らしい。しかしこの「創訳」は、戦前の日本の満州進出について、ある程度つっこんだ批判が(それも日本人の口から)なされている。それが都筑の思いがけない硬骨漢ぶりを見せていてうれしい。

巻末の新保教授の解説によれば、都筑は少年ものに手を染めるにあたって、乱歩の二十面相ものなどを読み返して参考にしたという。それかあらぬか、「さてこれからどうなるでしょう」みたいな、作者が読者に語りかける口調は、いかにも乱歩調でうれしくなってしまう。

続く「象牙のお守り」は少女探偵ナンシーの喋りがいかにも少女らしく溌溂としてていい。たとえば最初のページに出てくる「休みがおわってしまったのは、ざんねんだけど、家へかえるんだって、わるかないわ」。この「わるかないわ」がいいではないか。この少し蓮っ葉な調子には、大人になりかけの少女が背伸びして話している口調が出ていて可愛い。

都筑は「自分は女性を描くのが苦手だ」とことあるごとに言っていた。実際たとえば『全戸冷暖房バス死体つき』その他に出てくるコーコさんはまだ若そうなのにオバサンみたいな喋り方をする。しかしこのナンシー・ドル―はそんなことはない。もしかしたら全都筑作品中でいちばん生き生きと描けている女性かもしれない。
 

 
 上の絵は少女版ディオゲネスとなって樽の中から出てくるナンシー。この場面も原作にはないらしい。

四月のSFファン交流会

SFファン交流会の四月例会は『〈マニュエル伝〉シリーズの魅力(仮)』と題して中野善夫さんと安野玲さんが参加される予定です。わたくしは都合により参加できませんが、皆さまこぞってお申込みください。きっと面白い話が聞けると思います。

ところで話は急に変わりますが、ドイツ語の "Eigenbrötelei" という単語は、もともとは「自分のパンを自分で焼くこと」という意味だったはずですが、今は「偏屈、孤立主義、奇行」という意味になったらしいです(小学館『独和大辞典』第二版による)。どうしてこれほどまでに意味が変わったんでしょうね? ドイツにも中野さんみたいな人がいたんでしょうか。

夢野久作の「いなか、の、じけん」に「それ以来この部落ではアリバイという言葉が全く別の意味で流行している」という一節がありますように、言葉というのはふとしたことでガラっと意味が変わってしまうことがあります。そこがまた面白いところでありますし、今の辞書だけを使って百年前や二百年前の本を読むことの危険性もあります。

『さよなら、愛しい人』

 
チャンドラーの『さらば愛しき女よ』はむかし清水俊二訳で読んだときはあまり感心しなかった。

マーロウは例によって行方知れずになったある女の捜索にたずさわる。しかし最後に判明するその女の正体は、陳腐とまでは言わないにしても、かなり定石的なものである。そもそもあんな小さな町で、整形もせずに、長く姿を隠していられるわけもなかろうと思う。それに後ろ暗いことは何もしていないのになぜ恐喝に屈したりするのか。

それからマーロウの押しかけ助手になるアン・リオーダンという娘が、今でいえば男性向けライトノベルのヒロインみたいなステロタイプなのもちょっとどうかなあと思った。わざとらしくマーロウに接近するのだから、なんかこう、隠された裏の目的があってほしかった。もしかするとハードボイルドの読み方がわかっていないのかもしれないが、普通の推理小説として評価すればそうなる。

ところがふと魔がさして(というわけでもないけれど)村上春樹訳で読み返してみたら、印象がかなり変わった。チャンドラーの清水訳と村上訳のどちらが優れているかは一概にはいえないし、そもそもそんな比較に意味があるのかという気もするけれど、この『さよなら、愛しい人』の場合は村上訳で読まないと真価はわからないと思う。

小説の終わり近くで、女がある男に向けて拳銃をぶっぱなす。この女がこの男を心底から嫌い抜いているのが、この一瞬のシーンで閃光に照らされたみたいに明らかになる。太宰でいえば「カチカチ山」のラストみたいな感じだ。この「カチカチ山」のタヌキのモデルは田中英光だという説がある。そういえばこのシーンで拳銃で撃たれる男にもカチカチ山のタヌキ、あるいは田中英光めいたところがある。ああそうか、この人はこの男に再会するのが嫌なばかりに、恐喝にも屈したのであったか!

そしてタイトルになっている「さよなら、愛しい人("Farewell, my lovely")」とは、その女が(「その男が」ではないことに注意!)死ぬまぎわに胸のうちでつぶやいた言葉にちがいない。もちろん作中にはそんなことは一言も書かれていない。しかしどうしてもそうでなければならない。最後にマーロウがこの女が本当は誰を愛していたかを推理する、その推理が正しいなら、そうならざるをえない。

そもそもあの撃たれた男に「さらば愛しの女よ」なんてかっこつけたセリフは似合わない。あの男が死ぬ前にひとこと言い残すとしたら、太宰の「カチカチ山」なみに、「惚れたが悪いか!」、これでなくてはいけまい。

だからこれを清水流に「さらば愛しき女よ」と訳すのは、この小説を理解していないとんでもない誤訳だということになる。

それにしても最後のこのマーロウの推理はかなり意外なものだ。事件の真相よりずっと意外といってもいい。あまりに意外なものだから、清水訳で読んだ昔の自分は「また適当なことを言いやがって」とあっさり読み流したのだと思う。

ハードボイルドは男の物語だというのが定説だけれど、ある場合にはそれは女の物語でもある。それをわからせてくれた村上春樹訳に感謝したい。

モデルナ副反応の恐怖

 この日記に書いたように月曜に三回目のワクチン接種をした。だが今回の副反応は一、二回目を上回った。ファイザーとモデルナのちゃんぽんにしたのがいけなかったのか、それともモデルナ自体の副反応が強烈なのか、それとも個人の体質的なものなのか、そこらへんは何ともいえない。

 指定された時間に会場の電通大に行くとガラガラだった(そのことはこの方のツイートにも書かれてある)。その時点でなんだか嫌な予感はしたのだが、すでに予約してしまったことだし、えいままよと接種を受けた。

 日中は腕が痛いくらいで別に異常はなかった。しかし当日の夜布団に入るとガタガタと寒気がしてきた。風邪の引き始めみたいな感じである。朝になっても布団から起き上がれない。ロケットで地球の引力圏を脱出するときGがかかるが、ちょうどそんなふうに布団に張り付いたままなのである。それでもなんとか起き上がって体温を測ると37度くらいある。おお今回は結構すごいなと思いながらずっと横になっていた。

 用事があるため昼過ぎに外出するとひときわ寒さが身に応える。夕方早々に床に入った。そのまま悪夢を見続けて朝になり、今これを書いている。 

荻窪ミニヨンの怪事件

 三回目のワクチン接種を済ませたプヒ氏はヤレヤレこれで一安心と勇躍荻窪ミニヨンに向かった。そしてそこで実に奇妙な話を聞いたのであった。

 ミニヨンというのは荻窪におそらく半世紀前くらいからある老舗の名曲喫茶である。かつてここで小野夕馥氏による森開社書籍の展示会が開かれたこともある。あれは何年前だったか……ともかくもかなり昔には違いない。

 行ったことがある人は知っていると思うが、そこのトイレ正面に小さな額がかかっている。まるでホッケの『迷宮としての世界』の挿絵にあるようなチェリストが描かれ、Archivと書かれていている。これもおそらくかなり昔からかかっていたはずだ。

 その絵がなんと、この前の土曜に盗まれたというのである。長年のトイレの匂いが染みているであろう絵を、なぜわざわざ盗んだのだろう。犯人はよほどの変態なのだろうか。「ジャケット背広スーツ」ではないが、退職刑事に相談してみたくなるような不思議な事件ではあるまいか。

 ちなみに今はアルヒーフの代わりにコロンビアの額が掛かっている。「ベートーベン五番 皇帝」と書かれていて、「あれれ五番は運命ではなかったっけ」と一瞬とまどった。

ワクチン三回目接種完了

 ようやく順番が回ってきて本日三回目のワクチン接種をしました。前二回はファイザーでしたが今回はモデルナ。今のところ副反応は何もありません。しいて言えば注射したのと反対側の腕が重いだけですか。

 ともかくこれで一安心。今後は文学フリマにもばんばん参加しようと思っています。

《仮面・男爵・博士》叢書発刊

かつて『狩久全集』で世間の度肝を抜いた皆進社がまたまた新しい叢書をスタートさせたようです。その名も「《仮面・男爵・博士》叢書」。聞くだけで血沸き肉踊りそうなシリーズ名ではありませんか。

その第一弾は水谷準『薔薇仮面』。装画はSRマンスリーなどでおなじみの森咲郭公鳥さんです 。皆進社のストア (こちら) から注文できます。

『狩久全集』もまだ残部があるらしいので、猛者の方々はこの機会にぜひ。不肖わたくしが一巻の解説を書いております。

早稲田古書店街の怪臭

先日書いた「幻の『左川ちか文聚』がヤフオクに出品」「幻の『左川ちか文聚』続報」が大変なアクセス数を記録している。もしかしたらツイッターで言及されたのだろうか。この問題への世間の関心は存外高いのかもしれない。

ところで『左川ちか文聚』を売っている浅羽通明さんのふるほんどらねこ堂では、珈琲や菓子ばかりか麺まで提供しているという。喫茶店を兼ねた古本屋はいくつかあるけれど、麺まで提供するというのはこの店だけではあるまいか。ああ早稲田の古書店だなあと昔を懐しく思い返した。

といっても早稲田の古書店で麺を提供していたわけではない。そうではなくて、四十年くらい前の早稲田古書店街では、昼飯どきになると、いくつかの店のおやじは麺とか丼物を抱え込んで食事をしながら店番をしていたのだった。そのために店内には古本の臭いと食べ物の臭いが混じった何ともいえない怪臭がたちこめる。

もっとも今はそんな怪臭の店はすべて姿を消していまった。代わっておしゃれな店が何軒も台頭してきた。古書ソオダ水とか、二階から地上に降りてきた丸三文庫とか、改装後の五十嵐書店とか。そもそも昼前から店を開けるところが少なくなったから、無理して店内で食べる必要もない。

ふるほんどらねこ堂も一度お邪魔したいものだと思う。あの懐かしい臭いがたちこめているのだろうか。

幻の『左川ちか文聚』続報

 昨日の記事「幻の『左川ちか文聚』がヤフオクに出品」に関して小野塚力さんよりメールがありました。

 そのメールによれば、「左川ちか文聚は、盛林堂サイトでの販売をやめた、というだけで、流通は開始してます」「現在は浅羽先生の営む古本どらねこ堂に、数部のみ、左川ちか文聚は委託しています。売り切れていたら、すいません」とのことです。ようするに全面的に販売延期になったわけではなく、書肆盛林堂以外のルートでは購入可能らしいです。

【15:08追記】
 再び小野塚力さんよりメールあり。紫門あさをさんからの連絡事項として下記のようにあります。

「(連絡事項)
・幻でもなんでもなく、まんだらけでは普通に販売中

・盛林堂での販売をやめただけであり、販売方法について考えるとかいてある通り、現状のまんだらけ、いろどりでの販売となっている。

・そのため、アンダーグラウンドでもなんでもありません

とのことです。あと、もしかしたら、三鷹のりんてん舎でも買えるかもしれません。こちらは、もうないかもしれないです。いずれにせよ、きちんと情報の裏をとってから記述ください」(メール引用はここまで)
 

……ますます何が何だかわからなくなってきましたが、力さんの上から目線感というか何様感は健在のようです。ようするに現状は「盛林堂でだけ販売中止」(紫門あさを氏からの連絡によれば延期でなく中止らしい)ということらしいです。ツイッター等での告知なしに売っているのだから、「アンダーグラウンド」と言われてもしかたないと思いますが……。

 それにしてもどうして盛林堂での販売をやめたんでしょうね? 盛林堂のツイッターを見るかぎりでは盛林堂側の都合ではないみたいですが……。本を見せたくない人から予約の申し込みがあったのかな? と邪推したくもなります。

幻の『左川ちか文聚』がヤフオクに出品

 ブログ「銀髪伯爵バードス島綺譚」によれば、盛林堂書房で販売が延期された『左川ちか文聚 左川ちか資料集成・別巻』 (えでぃしょん うみのほし) がヤフオクに出ているそうだ。

 どれどれと見に行ったら、本当に出ていた(ここ)。あいかわらずO氏の暗躍力はすごいなと驚愕した。表向き販売延期にしておいて実はアンダーグラウンドで流通させるとは。

 
(この件に関しては2月7日の記事に続報あり)