同じウダルでも大違い

またボルヘスが訳せるといいな、今度は伝記を訳したいなと思いながら未練がましく西和大辞典をぱらぱらめくっているとcapicuaなる変な単語に出くわした。
 

ようするに岡嶋二人の山本山コンビみたいに、逆から読んでも同じになる単語や数字のことを言うらしい。こんな言葉があるというのが頼もしくてスペイン語への信頼感が増す。日本語にも「回文」という言葉はあるけど、一単語で「回文」とは言わないと思うし、ましてや数字には使えないと思う。

さて最初に「ボルヘスの伝記を訳したい」と書いたが、伝記ならジェイムズ・ウッダルの『ボルヘス伝』がすでに翻訳されてるじゃないか、と思われた方も多いと思う。しかしこれは、女性関係とか、遺産を巡る紛糾とか、ことさらスキャンダラスな面を強調している、いかにもジャーナリストが書きましたという本なのである。同じウダルでも大下宇陀児とは大違いの駄本だ。
 
自分はこのウッダルの本が吐き気がするほど嫌いで、早く絶版になってくれ! と日夜祈っているのだけれど、そういう本にかぎっていつまでもしぶとく書店の棚にのさばっている。アマゾンにも在庫がある。きっと不評で売れないから残っているのだ、とせめて思いたい。
 


 
いっぽう自分の訳したいボルヘス伝は『ボルヘス ある生涯』と題されている、エドウィン・ウィリアムスンというイギリス人が書いた本である。イギリスには伝記文学の伝統があって、外国人をあつかった伝記でも本国人の書いたものより面白いことがあるが、この本もその一冊だと思う。

著者はペンギン・ブックスでラテンアメリカ史の本(The Penguin History of Latin America)も出している人で、このボルヘス伝も目配りが広くきいている。また大著だけあって情報量も豊富で、『記憶の図書館』に訳註を付すうえでもずいぶんお世話になった。たとえば「自分は涅槃を体験した」と来日したボルヘスに語った僧は龍安寺大珠院の盛永宗興住職だったこともこの本で知った。