『黄色い笑い/悪意』の感想ではついうっかりマッコルランの作風を「出たとこ任せ」などと書いてしまった。これはまったくの濡れ衣だった。申し訳ない! なにしろ「北の橋の舞踏会」はミステリの技法を使って緻密に構成された小説だったのだから。本書が刊行された1934年前後はいうまでもなく本格ミステリの黄金時代であり、この小説の舞台となったベルギーでも、スタニスラス=アンドレ・ステーマンが盛んに書いていた時期と一致する。
まず最初に老婆心ならぬ老爺心から一言。この小説を読む人はあらかじめウィキペディアの「ゼーブルッヘ襲撃」のページに目を通しておいたほうがいいと思う。
しかし本作はミステリなのだろうか。一人三役(あるいは二人三役?)の跳梁するこの小説は、『両シチリア連隊』と同様、むしろアンチミステリと言ったほうがいいかもしれない。あるいは『毒入りチョコレート事件』ふうの多重解決ミステリともいえると思う。つまり唯一無二の真相は、多くの戦争秘話と同じように、最後まで霧の中に隠れている。ジョゼフィーヌはイギリスとドイツの二重スパイだったのか。それともドッペルゲンガーであったのか。そしてハンスはヤン・ド・フークだったのか。
でも真相なんかは実はどうでもよくて、これは(中井英夫のある種の作のように)第一次大戦が終わって十数年たったあともそのトラウマをひきずり、それぞれの幻視のなかに生きる人々を描いた小説ともいえるかもしれない。
それはそうと、肝心の部分で非常にひっかかるところがある。p.176の1行目から7行目のセリフは誰が言ったのだろう。その直前に「彼(ヤン・ド・フーク)は窓を閉めると[…]わたしの目を見すえた。そして自嘲気味にこう言った」と書かれているので、素直に読めばこれはフークのセリフになる。しかしそうだとするとつじつまが合わなくなる。
このp.176のセリフの5行目には、「ヘントで銃殺されたイギリスの娘の名はまちがいなくジョゼフィーヌ・バークレイです。彼女はドイツ軍にはドーラ・ズウェイフルの名で知られていました」とある。
ところが少し前のp.174でフークはこう言っている。「ジョゼフィーヌ・バークレイであり、ヘルトルーデ・デヴリートルでもあるこの女性の名は、シャルロッテ・フォン・クライストです。彼女はドイツ人で[…]祖国のためにイギリスでスパイ活動をしていました。ドーラ・ズウェイフェルは彼女の親友でしたが[…]」
これははなはだしい矛盾である。p.174ではジョゼフィーヌはドイツ人と言っておきながら、p.176では「イギリスの娘」と言っている。またp.174ではドーラはジョゼフィーヌの親友と言っておきながら、p.176では同一人物と言っている。
いったいどうなっているのか。おそらくp.176のほうは作中の「わたし」のセリフではないかと思うがどうだろう。ともかく肝心カナメの部分がこんなふうにアイマイになっているのが推理の妨げになっていてとても歯がゆい。