待ちに待ったマッコルラン・コレクションの第二巻が出た。今度の表紙は赤天鵞絨である。もしかしたら『黄色い笑い』が黄天鵞絨だったように、集中の「薔薇王」にちなんだ赤なのかもしれない。すると第三巻はどうなるんだろう。タイトルからすれば黒天鵞絨になるはずだが……
まあそんなことはどうでもよろしい。取るものもとりあえず、まずは「薔薇王」を読む。なにしろ澁澤の「マドンナの真珠」の藍本であるというから穏やかではない。ちなみに「藍本 (らんぽん)」とは粉本・手本の意。「マドンナの真珠」にそんなものがあったとは!
しかしあれですね。「マドンナの真珠」を思わせるのは、幽霊船に乗った死んだ船乗りが幼児を拾うという最初の場面だけで、あとは全然違う。「薔薇王」には三人の女も出てこないし赤道も出てこない。少なくとも「犬狼都市」や「錬金術的コント」ほどには原典に似ていないといえよう。乱歩は鷗外の「ヰタ・セクスアリス」の一節から「孤島の鬼」を構想したというが、それと同じように、「薔薇王」も「マドンナの真珠」のヒントにすぎないのではなかろうか。松山俊太郎は『澁澤龍彦翻訳全集』の解説のどこかで「澁澤さんは他人の作品を下敷きにしても、あるところから原典とは全然違ってくる」とかそういう意味のことを書いていたけれど、「マドンナの真珠」もその例にもれない。
これをあえて「藍本」というのは、一冊でも本を多く売りたい版元の謀略ではあるまいか。折からの酷暑で読者の頭もボーとしているから少々ハッタリをかましてもバレはするまいという酷暑刊行会ならではの深謀遠慮にもとづくものではあるまいか。
ただ「薔薇王」のほうも、生と死のパラドックスを軽妙な筆致で描いた名短篇だと思う。これと「マドンナの真珠」のどちらが優れているかは、人によって意見がわかれよう。自分はどちらかといえば、生と死を相対化した「薔薇王」に軍配をあげたいのだが……