エゴサーチの鬼と化す

 
『本の雑誌』七月号の編集後記に、この雑誌の巻末索引を担当されている方が、「あの、実際のところ索引って使いますか……? 常に存在意義を見失いがちな疲れた索引担当者に励ましのお便りを」と書いておられる。しかし、不肖わたくしがこの雑誌を買ってまず一番に目を通すのが索引である。すなわち自分の訳本が取り上げられていないかと、目を皿のようにして探すのである。嬉しいことに七月号では藤ふくろうさんが『テュルリュパン』を評してくださった。ありがとうございます!
 
次に巻頭グラビア「本棚が見たい!」に移って、やはり自分の訳書はないかと、書店や蔵書家の本棚をふたたび目を皿にして探す。だが悲しいかな、自分の本が見つかったのはこれまでにたった一度、十年ほど前に船橋のときわ書房本店の棚に『両シチリア連隊』を見つけたとき、あとにも先にもこれきりである。中野さんの『骸骨』なんか、もう三回くらい見ているというのに……

かくて鬼のエゴサーチが終ると、おもむろに本文に移る。まず「黒い昼食会」から読み、次に日下三蔵さんの連載「断捨離血風録」。しかし日下邸の有様を見ると、わが陋屋なんか本がスカスカしかないと思えてくる。よおし、まだまだ買っても大丈夫! 断捨離なんて家が日下邸みたいになってからやればいいんだ! と積読者に愛と勇気を与えてくれる貴重な連載なのである。