「まぎゃく」

「正反対」の意味の「真逆 (まぎゃく)」という言葉は、すくなくとも文章語ではまだ十分に市民権を得てないようだ。この言葉が生理的に嫌という人もいた。それに「真逆」はフリガナを振らないと「まさか」と読み違えられる場合がある(たとえば「彼女は内心で真逆と思った」とか「真逆の事態に備える」みたいな文章)。このこともまた十分に受け入れられていない理由としてあるかもしれない。

しかし「真逆」という言葉が好もしいこともある。「ま」に続く「ぎゃ」という空気を切り裂くような音がいい。今翻訳している小説に「彼女は多くの場合正反対の意見を述べた」みたいな文章があるのだが、ここは文章効果だけからいえば「彼女は多くの場合真逆の意見を述べた」としたほうがいいと思う。「せいはんたい」だとリズムが間延びして原文の力強さが失われてしまう。

しかしおよそ二百年前の小説に「まぎゃく」というような新しめの訳語を使うのもためらわれる。はやく「まぎゃく」が古びて一般化してほしいものである。