これが百合か

すこし日記の間が空いてしまったけれど、そのあいだ何をしていたかというと『安達としまむら』を読んでいた。『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』で衝撃的なデビューを飾った入間人間の二〇一五年の作品である。
 

 
これを読んで百合というものがわかったような気がした。

 これが百合か
 百合というものか
 ああその水は
 糖分に満ちている

……いやそうじゃなくて、これは安達という人見知りで人付き合いの苦手な高校生が、しまむらという同級生が好きで好きでたまらなくなって、いろいろジタバタする話である。そのしまむらというのが、安達の気持をあまり理解できず、妹みたいなものと思っている。しかもしまむらには姉体質があって、妹に慕われるし、小学生時代の同級生にも慕われるし、安達にはライバルが多くてさあ大変、なのである。

複数一人称というか、それもかなり多くて六、七人くらいの視点を代わる代わる採用する、いわゆる多元描写が用いられているのだが、それが自然に決まっているところに、小説のうまさが光っている。一人だけ視点人物にならないのがいて、それがどうやら宇宙人らしいのも「おぬしなかなかやるな」という感じである。

うまいといえば文章もうまい。何よりも揺れ動く安達の心理をこれでもかというくらいに丹念に描いてくれていて、それが自分のような百合初心者には非常に助かる。百合というものが当たり前に存在する地点からスタートする物語は初心者にはきびしい。しかしこの小説くらいていねいに描いてくれればなんとかついていける。

たとえば、安達のしまむらへの思いはこんなところから始まる。
「私は、しまむらに優先されたいだけだ。/しまむらが友達という言葉を聞いて、私を最初に思い浮かべてほしい」(第一巻 p.106)

これならよくわかる。自分の中学時代を思い返してみても、いつも一緒にいる女の子二人がいた。ああいうのの発展形が百合の、少なくとも一形態になっていたのですね。

ところでこの間まで故郷のうどん県に帰省していて、『安達としまむら』もそこで五巻まで読んだ。東京に帰ってさあ続きを読みましょうと思ったら、これがどこにも売っていない。うどん県のジュンク堂には「2020年10月8日(木)から放送開始!」という帯を堂々とつけた本が一巻から十巻までピシっと並んでいたのに……。都会では電撃文庫は賞味期限の短い消耗品なのだろうか。おかげで深刻なしまむらロスである。