魔法つかいの夏


夏と冬のソナタ、じゃなくて祭典に参加する場合、もっとも苛酷な場所はどこだろう。一般参加者の入場待機列か。あるいは切羽詰っているときのトイレの待機列か。しかしそれらは避けようと思えば避けられる。思うに、のっぴきならない難所は東館と西館をつなぐ連絡ブリッジではないか。
満員電車を越える密度のなか、重い荷物をつらそうにかかえた人たちといっしょに黙々と歩いていると、「死の行軍」という言葉さえ浮かんでくる。だって軍服みたいなものを着てる人だっているし……。
徴用されたわけでもないのに、何が嬉しくてこんな苛酷な目に……と毎回思うが、半年たつとけろりと忘れて、また同じ愚を繰り返してしまうのだ。
しかし幸いなことに連絡ブリッジと東館のつなぎ目あたりに、外のテラスに出られるドアがある。ドアの向こうは当然のように炎天下(冬なら極寒地)だが、ともかくも背嚢を下ろし、新鮮な空気を吸うことができる。自動販売機もある。

忘れもしない二年前の夏、この炎天下のオアシスのようなところでぺガーナ・ロストの12号を読んだのだった。文学の味わい方を力強く語る「ドネラン講義録」の文章をたどっていくうち、疲れと暑さで朦朧となった頭には、まるでダンセイニ卿その人の謦咳にじかに接しているような幻が浮かんできた。
一般には同人誌を衆人環視の場で読むのははしたない行為とされているのだが、あの12号だけはあの場で読んでよかったと思う。

それから多くの歳月が過ぎ、ついにわれわれはドネラン講義録の続きを読めるようになった。発売されたばかりのぺガーナ・ロスト13号には「第2部 詩」と「第3部 戯曲」が一挙掲載されている。たとえばポーの詩「アナベル・リー」について、ダンセイニ卿はわれわれにこう語りかける。

この作品には多くの絵が仄見える。それは魔法が存在しなければ見ることができないものである。……エドガー・アラン・ポーの詩の韻律はスウィンバーン同様独特のものである。それはまるで魔術師が研究室で魔法の研究に勤しんでいるかのような印象を与える。あるいは錬金術の炎によって、あらたな妖精の国を呼び出す角笛を鍛造しているかのようなのである。(稲垣博氏訳)


それはまさしくそうであろう。しかし忘れてはならない、こうわれわれに語りかけているのはもう一人の魔法使いであることを。その声は「魔法が存在しなければ見ることができないもの」を見せる声であることを。