「記憶の暮方」からいやおうなしに連想されるのが橋本治の久生十蘭論「遁走詞章」だ。この評論では記憶違いというものに対して、そしてそれと歌(リズムを持つ文章)との関係について考察がなされている。
まず橋本は十蘭の奇妙な記憶違いに注目する。「広重の赤富士」(ほんとうは「北斎の赤富士」)であるとか、「菅原伝授手習鑑」の三段目(ほんとうは四段目)であるとか。
これらの錯誤は十蘭の不思議な記憶方法のせいではないかと橋本は推測する。つまり十蘭の頭のなかで、知識は歌の文句(リズムを持った言葉の一続き)として文章化されているのではないかと。
歌を覚える人間は、まずメロディーを覚える――覚えようとする。メロディーがあれば、そこに言葉はいくらでものっかるし、メロディーぐるみで記憶された歌詞は、今度は逆に、メロディーを作る。歌詞は容易に"替え歌"を生むし、メロディーは容易にハーモニーを生む。そして人は、歌詞の細部を、その時その時の気まぐれによって、覚えまちがえる。久生十蘭が"○○の赤富士""○○の○○じゃないが、いずれを見ても山家育ち"とつかまえている人だというのは、彼がそういう人だからだと思う。(「遁走詞章」第4章)
このように意味と韻律とは互いに他を侵犯する間柄にあるため、なまじ韻律を持つがゆえにそれが覚え違え――記憶の錯乱を誘発するということが起こる。それはわれわれも日常的に経験していることだ。「鐘が鳴る鳴る法隆寺」とか「山の彼方に臼が住む」とか、そういったたぐいの錯誤は、もしこれらのフレーズがリズムを持っていなかったらとうてい起こりえないだろう。
韻律は特定の意味を担っていないときにも、空車のタクシーのようにそこらあたりを浮遊している。そんなふうに遍在しているものだから、ひょんな拍子にこの世にあらざるものを乗せてしまうことだってあるかもしれない。そして記憶領域に転写してしまうこともあるかもしれない。
こんな形の記憶の錯乱を一手法としているのが「記憶の暮方」である、といえばこれがいかにとんでもない小説であるかの一端が分かってもらえるだろうか。
(続く)