『記憶の暮方』

 
 
独特の文体によって、どことも知れぬ空の彼方から手繰られるように物語がゆるゆると語りほどかれてゆく。「手繰られるように」というのは単なるレトリックではなく本当にそうなのだ。なにしろこの二百枚を越えるであろう小説には一切章分けがない。映画でいえばはじめから終わりまでシーンに継ぎ目のないヒッチコックの『ロープ』みたいなつくりになっている。

そういうわけで中途で読者は緊張を解くことを許されず、どこに連れて行かれるのか分からぬまま、でもなんとなく禍々しい予感を感じつつページを繰ることになるのだが、そのうちに物語は実に意外な展開を示す。ロス・マクドナルドみたいな私立探偵小説のフォーマットに乗っかっていくのだ。こういうものを掲載してくれるとは文芸誌というのも話が分かるところであると思った。

と感嘆しながら読み進めていくうちに、どこやらのアンチミステリのように暗合は暗合を呼び、それにしたがって話の輪郭らしきものも判然としかけてくる。しかし暗合であるからには論理あるいは推理として固着することはなく、あたかも夢のなかでこさえた論理が目がさめればバラバラになるように、探偵役が新たな証人に話を聞くたびに、ひとたびは見えかけた輪郭は崩れ消えてしまう。タイトルの「記憶の暮方」は、「記憶の暮れ方」すなわち「いかにして記憶は暮れていくのか」という意味もかけているのではなかろうか。

なんにせよ、『抒情的恐怖群』の境地を更に深めたとおぼしき本作はかの大問題作『アムネジア』の好敵手だと思った。さてみなさんはどちらに軍配を上げるだろうか。
 
続く