生き別れの曽々々々爺さん

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)


さて本書の「緒言」は、ページが進むにつれて、だんだんと熱くなっていく。この部分の矢川訳はピンボケ気味なので、まことに僭越ながら拙訳で引用したい。(文庫版上巻二九ページの終わりから三行目から三十ページ十二行目に対応。美術出版社版では二一ページの半ばから二二ページの始めあたり)

 つとにE.R.クルティウスは、中世ラテン文学のマニエリスムと古代修辞学との関係、および十六、七世紀マニエリスムの修辞的芸術形式へのそれらの影響を論じたが、本書はそれを受け、後者の時代の様式の特性、表現の形式、およびその精神の基本モチーフについて、さらに詳しい性格付けを試みる。
 さらに、当時のマニエリスムと二十世紀芸術との間に見られる「親和力」(もっとも二十世紀芸術の立役者たちの大部分は、その種の関係にあまり自覚的ではないのだが)をも、詳細に記述し論証したい。
 あるエポックが歴史の奸計によってまるごと埋もれることもありうる。しかしだからといって、そのエポックのヨーロッパ精神の創造的連続性への独自の寄与は、いささかなりとも減じはしない。
 むしろ逆である。身よりも歴史も無いかに思われる超個人的精神を、伝統の流れに組みこむことは、毀誉褒貶半ばする「革命家」たちや、その場限りの「一発屋」たちに血統を与え、それによって――ノヴァーリスの言葉を借りて言うなら――高貴さと威厳とを与えることになるのである。


今でこそ二十世紀前半の現代芸術は美術史のなかで一定の地位を占めているが、ホッケがこの本を書いた当時は、それら芸術家たちは、海のものとも山のものともつかぬ、まさに「毀誉褒貶半ばする革命家たち、その場限りの一発屋たち」であった。そして『迷宮としての世界』はそれら芸術家たちに対する激烈な応援歌でもあったわけだ。

つまり、「君たちは孤軍奮闘してるわけじゃない。ほらごらん、十六世紀にも君たちの曽々々々爺さんがいたんだ。君たちは高貴な血統の生まれなんだよ」と語りかける本書は、類まれなる貴種流離譚ともなっているのだ。
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それは「黒いユーモア」の歴史を独自に編んでみせたアンドレ・ブルトンの戦い方とそう隔たってはいない。種村季弘がなけなしの懐をはたいて、一見ガラクタ同然の本邦現代芸術作品を買い続けたことともそう隔たっていないし、さらにいえば、芥川賞候補作品に鏡花の血統――ホッケの言葉でいえば精神の創造的連続性――を見る東雅夫さんの奮闘ともそう隔たってはいないと思う。