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- 作者: グスタフ・ルネ・ホッケ,種村季弘,矢川澄子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/12/17
- メディア: 文庫
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(昨日から続く)たとえば、文庫版の上巻26ページから27ページの文章。ここでホッケは師のクルティウスにならって、「マニエリスム」という用語を拡張し、後期ルネサンスの特定の様式を指すばかりではなく、より一般的概念として使おうとしている。
ところが、すでに「マニエリスム」という用語は、時代的に限定された様式を示す言葉として美術史畑では定着している。さて、どう折り合いをつけたらいいのか、ということを論じているのがこの部分である。本書第一部を担当した矢川はここを以下のように訳している。
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とはいえ、いうまでもなく時代的に局限された意味での「マニエリスム」ないし「バロック」概念の適用を断念することはできないだろう。これらの概念は、今日あまねく行われているので、折り合いをつけないわけにはいかないのである。
ここに容易ならぬ難しさが生じるのだが、これとても自然に解決されよう。古典主義対マニエリスムの弁証法的関係を、芸術史および文学史全体に上位概念的に適用してみれば、おおくの無益な論議をはぶくことができる。にもかかわらずマニエリスム概念は(とりわけ芸術史では)、「盛期ルネッサンス」から「盛期バロック」にいたる時期をさすべく狭義の意味に適用されつづけているのである。
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どうだろう。いまひとつピントがぼけているような気はしないだろうか? 「折り合いをつけないわけにはいかないのである」と言っておきながら、続く文章ではまったく「折り合い」をついていない。それに「自然に解決されよう」と書いておきながら、この文章を読むかぎり、全然解決されていないではないか?
この文章の後半は、下記のように訳せば通りがよくなると思う。
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ここで最大の難問が生じるのだが、これとて解決は不可能ではない。「古典主義対マニエリスム」という弁証法的関係を、上位概念として、美術史・文学史のあらゆる時代に認めることにして、いっぽう狭義のマニエリスムという概念は、(なかんずく美術史において)今までどおりに、盛期ルネサンスから盛期バロックまでの時代に適用することにすればいい。そうすれば無益な論争の多くは避けられよう。
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つまり、「古典的なるもの対マニエリスム的なるもの」という緊張関係はあらゆる時代に認められるが、狭義の「マニエリスム」は特定の時代の様式であるという風に考え方の整理をするわけだ。そして、本書のテーマはマニエリスムそれ自身ではかならずしもなく、むしろ時代を超えて認められる「古典主義対マニエリスム」の緊張関係である。要するに本書はひたすらにマニエリスムに淫し、驚異博物館を開陳する本ではないのだ。
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ついあらさがしみたいになってしまったけれど、だからといって、言うまでもなく、この難物に徒手空拳で立ち向かったパイオニア的訳業の価値が一ミリでも下落するわけではない。ジャングルを切り開いて進むのと、開墾された平地にピクニックに行くのとはまったく異なる。半世紀近く前の翻訳に時代的な限界があるのは当然ともいえる。むしろ問題なのは、改訳を検討することもなく無批判に文庫化してしまうことであろう。
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