アルス・コンビナトリア!

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)

迷宮としての世界(下)――マニエリスム美術 (岩波文庫)

迷宮としての世界(下)――マニエリスム美術 (岩波文庫)


著者G.R.ホッケの回想録『レヴィアたんの影の下に』(2004)によれば、本書執筆当時、彼はローマはヴェネト通りに居を構えていた。映画『甘い生活』で有名になったあの場所だ。そして戦後初のコレスポンダント(通信員)として、ドイツの新聞雑誌のため記事を書きまくっていたそうだ。
本書の執筆に割いた時間は、多忙なジャーナリストとしての一日が終わったあとの、夜の十時から午前二時まで、あるいはもっと遅くまでだったという。
それはジャーナリスト稼業と「わが内なる文人(homme de lettres)」とを、どちらを犠牲にすることもなしに、結合しようとする果敢な試みであった。おお、なんというアルス・コンビナトリアであることよ!

この「結合術」の成果は、まざまざとこの『迷宮としての世界』にあらわれている。
まるでマニエリスム期をレポルタージュするような臨場感あふれる筆致、汎ヨーロッパ的崩壊への諦観と希望の綯い交ぜになったパセティックな論調、あるいはマニエリスムを一時代に局限せず超時間的な「常数」として観る発想は、まさに二度の大戦を経た後のヨーロッパに、ジャーナリストとして身を浸した者でなくてはなしえない業だ。

この本の出版にあたっては、つとに師E.R.クルティウスより、スイスのある学術出版社から小部数の専門書として出すことを斡旋されていた。ところが、雑誌に発表された本書のサワリを読んだ碩学エルネスト・グラッシが、血相を変えてホッケの家に飛び込んできたのだった。
そして熱心に口説くには、自分の監修する新書版の叢書『ドイツ百科全書』に本書を入れさせてくれと。「君、こういうときには装訂とか金のことは考えちゃいかんよ。そりゃ印税は高価な本で出したほうが多かろうとも。だがそれより広範な読者層、それもドイツ国外にも広がる読者を得ることがずっとずっと大切だと思わないか」

ホッケは迷わなかった。師の学恩をあえて振り切り、「安っぽい袖珍本」*1での出版を選択したのだった。
その結果が今見るような大成功である。もし本書が小部数の学術書として出版されていたら、そもそも日本であのタイミング(原書出版1957、翻訳出版1966)で出版されていたかどうかさえも疑わしい。その意味で、今回の文庫化は、ようやく本書に著者の意図にふさわしい器が与えられたとして讃えられるべきだろう。

だが同時に、半世紀近く前の翻訳を、改訳の労をとることもなくそのまま出版するのはちと問題ではないかとも思う。実際本書には、種村季弘が翻訳を担当した部分はともかく、矢川澄子パートには首をひねらざるを得ない部分がすくなからずある(続く)。

*1:高山宏による本書解説のなかの形容