プロメテウスか虐げられた人民か


なんでふ師こと南條竹則氏の新刊は2004年に出た悪魔聖誕―デビルマンの悪魔学のリニューアル版である。「南條竹則とデーモン一族」名義になっていた『悪魔聖誕』に対して今回は単独名義で、「わたしも年来罪業を積み重ね、大分デーモン的になってきたことゆえ、今回、一人で全体を書き改めた」と序にある。

しかし「書き改めた」というほどには変わっていない。『「悪魔学」入門』の95%くらいは『悪魔聖誕』と全く同じ文章だから、よほどのファンでないかぎり買い直す必要はないと思う。いやむしろ、前著は267ページ、今回の本は221ページで、割愛された部分がけっこうあるようだから、その意味では前著の方が読みでがあるかもしれない。

前著から割愛された部分は第四章「諸宗教の悪魔」の最後の2節、付録2の「悪魔名鑑」(レジナルド・スコット『魔術の暴露』より抜粋)、それから永井豪作品の引用のかなりの部分など。逆に追加されたのはせいぜい数パラグラフである。

内容的に大きく変わっているのはたぶん一箇所だけで、第7章のおしまい、永井豪『魔王ダンテ』の評価部分だ。前著『悪魔聖誕』にはこうある。

この作品はソドムとゴモラ、洪水の伝説などをうまく織り交ぜて、現実の宗教と錯綜した世界観の構築に成功している。これをもって永井豪の宗教観の現れだ、と論じるのはナンセンスだろう。しかし描かれた内容が、一神教の波に飲み込まれていった諸宗教の神々の声を、つまりは「悪魔」の意志を代弁しているかのように思われることは否定できない。このような意味で、非常にプロメテウス的性格を有していると言えるだろう。

それが『「悪魔学」入門』ではこう変わってしまう。

この作品はいわば圧政者に対する蜂起の物語で、悪魔たちは虐げられた人民だ。ただし、この「人民」には、自分たちよりあとに造られた被造物「人間」に嫉妬する伝統的悪魔の性格が残っている。

肝心の『魔王ダンテ』を読んでいないので、どちらがより適切な評価かはわからない。しかし前者のように紹介されたほうがよほど面白そうに思えるではないか。失礼ながら「圧政者に対する蜂起の物語」などはあまり読みたいとは思わない。