金曜日ラビは拝謁を賜った

 
アマゾンで見たら元版(1988)はおろか文庫版(2006)さえ品切。今の文庫は3年くらいしか寿命がないのか。それはともかく、この『魔術の帝国』はルドルフ2世に関心ある者にとっては必読で、読後の感激のあまりプラハに留学しあっぱれルドルフ学者になってしまった方もいるというくらい*1に、ある種の人々にとってはハメルンの魔笛の如き書でもある。ただ翻訳が困難な含蓄に富む文章なので、できれば原著を横に置いて読むといいと思う。

原著ペーパーバック化(1984)に際し新たに追加された序文では初版(1973)以降に出た多くの文献が紹介されている。木曜にとりあげた『魔術的プラハ』もあって、(訳書によれば)「A.M.リペッリーノの分析は難解だが価値ある内容を持っている」と評されている。

怪しげな語感をふりかざして恐縮だが、この訳にはたぶんちょっとしたニュアンスのずれがある。原文は"Praga magica (Turin 1973),is enigmatic but worthwhile "とあって「分析」にあたる語はない。「謎めいた本だけど一読に値する(読んで損にはならない)」程度の意味ではなかろうか。すくなくとも『魔術的プラハ』を実際に読んでみた感じではこちらのほうが当たっているような気がする。

水曜にとりあげたボルトン『ルドルフ宮における科学の狂宴』も本文中にちょこっと登場していて、いわく、「あるアメリカ人の提出した説に楽しめるナンセンス(entertaining nonsense)がある」*2

この「あるアメリカ人」なんて言い方*3もとりようによっては結構な侮蔑で、要は一人前の研究者とみなしていないのだろう。確かにそういう扱いをされても仕方ないかもしれない奇書ではあるのだが……

ひとむかし前は、ルドルフ2世といえば政策のまずさから宗教戦争の引き金を引いた、鬱の入った美術・錬金術オタクという評価が相場であった。ところが本書は旧弊なルドルフ像をヨーロッパ精神史の観点から、政治、宗教、美術、隠秘学などの多面的な情報を駆使して刷新してみせる。高山宏いうところの「知のホットサマー」*4の影響をもろに浴びたと思しき本である。

本書で描かれるルドルフは、16世紀おわりから17世紀はじめにかけてのヨーロッパの思想潮流の大変動を一身に体現した人物で、その宗教政策も、学問芸術の庇護も、オカルト狂いも、全欧が憑かれていた同じ一つの根――魔術的世界観あるいは普遍への希求から生まれたものとされる。それだけにマクロコスモスとミクロコスモスとが痛ましくも分裂するさまを縷々描く第7章からエピローグにかけての筆致は凄く、全部読むのがめんどくさいという人は序文とこの部分だけ読んでもしたたかに圧倒されることだろう。

*1:ここの動画参照

*2:単行本版p.235

*3:もっとも原注には小さい活字で名前と書名が載っている。 しかし巻末参考文献表では無視されている。

*4:高山史観によれば『記憶術』などの出た1960年代後半から始まるとされる