きょうも元気だ阿片がうまい

 

 
神保町で第三某氏とすれ違う。その店では「ヴァールブルク著作集4」とか「魔王の足跡」が新刊で並んでいた。東京堂書店ふくろう店の特価本コーナーではウィルキー・コリンズ傑作選の十二冊揃いを見た。小口にはマルBの赤いハンコが。値段は12,249円で、一冊当たり千円ちょっと。

横山茂雄氏や小池滋氏や若い俊英たちによるみごとな訳文でコリンズを楽しむ、たぶんこれは最後のチャンスだと思うので、興味のある方は買っておいたほうがいいような予感がする。値段のわりにチープな装丁が災いしてか、この傑作選はあまり評判にならなかったようだが、このまま埋もれるような本ではない。もう何年かすると、とんでもない値段で古書店に並ぶようになるのではないか。(しかしそれにしてもコリンズは翻訳者に恵まれてますね。レ・ファニュとは好対照、という気もちょっとだけする。)

ところで、人も知るように、ウィルキー・コリンズの父ウィリアムは画家であった。S.T.コールリッジの娘サラの肖像も描いている。コールリッジは画家夫妻と友達つきあいをしていたのだが、ある日彼はコリンズ夫人に涙ながらに訴えた。奥さん、僕はどうしても阿片を止めることができないんです。それを聞いた夫人は眉根ひとつ動かさず、「泣くのはおよしなさい、コールリッジさん。もし阿片があなたに素晴らしいものを恵んでくれるのなら、どうして止めたりするの? あなたにはそれが必要なのよ」 コールリッジの顔面はぱっと輝き、傍らの画家の方を向いて言った。「コリンズ、君の奥さんはなんて物のわかったひとなんだ!」

その会話の一部始終を聞いていたのが当時九歳のウィルキー・コリンズだった。「ふーんそうなんだ。ママンの言うことだから正しいにきまってる」とでも思ったのかどうか、長ずるに及び彼も、リューマチ痛を和らげるため阿片を嗜むようになった。それは「ノー・ネーム」を執筆していた頃からはじまって三十年近く、六十五歳で死ぬまで続いたそうだ。ただコールリッジやド・クインシーと異なり、阿片に霊感を求めず、したがって過量に飲むこともなかった。しかし長年の服用によりだんだん量が増え、最後には数人分の致死量に相当する阿片チンキを、毎晩寝酒代わりに飲んでいたという。

人は「ノー・ネーム」や「アーマデイル」で阿片チンキの壜が重要な小道具として使われているのを見るだろう。しかしそういった外面的なものだけではなく、作品内に漂う何となく「ハイ」な感じ、たとえば身振りが必要以上に大きい登場人物、物語のすべてが作者の頭の中だけで起こっているような、開かれた閉塞感とでもいうべき雰囲気(この点はちょっとジュール・ヴェルヌを連想させる)、自然なような無理筋のような不思議なプロット、つまりウィルキー・コリンズの小説の魅力の少なからぬ部分が、阿片常用者であることを前提におけば、「ははーん」とうなずけるような気がするのは気のせいだろうか。まあそんな余計なことは考えずとも十分面白い小説群であることは間違いない。メロドラマといって馬鹿にするなかれ。
 
(コリンズと阿片の関係についてはこの本↓を参照しました)