暗号解読者狩野博士

安藤昌益

安藤昌益

狩野亨吉(「こうきち」と読む)の本が書肆心水から11月に出ていた。しかし収められているのは「安藤昌益」「歴史の概念」「科学的方法に拠る書画の鑑定と登録」のたった三篇で、しかも全部『狩野亨吉遺文集』に入っている論文ばかりだ。せっかくのチャンスなのだから、日下三蔵氏を見習って、集められる限りのものを収録すればいいのに……。
狩野博士の文章で、ミステリ読者が読んでも面白いのは「天津教古文書の批判」だろう。天津教とは何か。それは別にカニ玉どんぶりを崇拝する教えとかそういうのではなくて、狩野自身の文章から引用すると、「天津(あまつ)教は現に磯原に住する竹内氏が守るところの皇祖皇太神宮を中心として宣伝せられる思想の系統である。その主張を聞けば、竹内宿禰の子孫は後ち竹内と称し連綿千九百年、皇祖皇太神宮を奉戴して以って今日に及び、其間あらゆる困難と迫害とを経て、尚よく神代より伝わった皇室関係の古文書及び古器物を守護保存していると云うのである」 おお竹内文書! 神代文字! 懐しの「地球ロマン」とか「迷宮」の世界である。
昭和十年頃、狩野博士は既に七十歳をこえていたが、この天津教が軍人の間に多くの信者を持つことを知り、「即ちかの狂的妄想が那辺を蠧毒するに至るや推察するに難からずで、事甚だ憂うべきものがある。今にしてその浸漸を防止せざれば、早晩健全なる思想との衝突を惹起し、其結果社会に迷惑を及ぼすことあろう」と考え、古文書が後代の捏造であることを立証しようと試みる。京都帝国大学文科大学長の職を四十四歳で辞してからは書画鑑定で生活していたという狩野の面目躍如である。
その「天津教古文書の批判」で、狩野は、なんと二枚綴りの紙に書かれた文書だけを手がかりに神代文字を解読してしまう。その解読手順が第六章「神代文字の巻」で詳細に説明されているのだが、これがポーの「黄金虫」を思わせるミステリ趣味が横溢したものだ。
神代文字は人も知る如く、象形文字まがいの変な文字なのだが、天津教古文書中に四十四の異なった文字があることより、狩野はその一字一字がアイウエオ五十音のどれか一字に対応すると考える。「黄金虫」の場合は英語で最も頻出するTheが最初の手がかりとなるが、狩野はまずページ数と思しき場所に書いてある数字の読みから攻めていく。それから文書末尾の署名と本文中に度々出てくる連続した三字を「みこと」と推定し……という感じで、その手順が驚くほど「黄金虫」に似ているところが嬉しい。

ところで話は例によって突然変わるが、本書前書きによれば、死後発見された狩野遺稿の中に性を扱ったものが少なからずあったという。狩野亨吉遺文集(昭和三十三年 岩波書店)を編んだ安倍能成は巻末の年譜付記で、「先生は人一倍人間の性欲現象に関心を持ち、先生の倫理学において人間の性欲的エネルギーは重大な位置を占めて居ると聞いて居る。ただ恐らく先生は性欲的交渉を生きた異性と重ねる煩累を嫌われたものと想像される」と、前後の脈絡なく思わせぶりなことを書いている。伝聞や想像だけでわざわざ書くようなことではないので、「聞いて居」たり「想像」したりする以上の、何かのっぴきならない現物を安倍は見たのではなかろうか。
昭和四十九年に明治書院から刊行された青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』の巻末付論「亨吉と性」がそこらへんを論じているらしいが、同書が中公文庫に編入されたとき、その付論は「著作権者の諒解を得て割愛」されてしまう。いったいどういう事情があったのか分からないが残念なことだ。「愛の新世界」のシャルル・フーリエと一脈通ずる異端哲学者安藤昌益の発見者であった博士のことだから、その秘められた遺稿にはきっとフーリエに匹敵するような何かとんでもない物が書(描)かれてあったに違いない。(そういえば「愛の新世界」の全訳が出るという話をどこかで聞いたが本当なのだろうか)