阪本英明の十戒


あまりの面白さに一気に読んでしまった。これは太宰治の生涯に一つの新解釈を試みた評論? 伝記? いや、やはり叙述方法から見て「小説」あるいは十蘭風に「ノンフィクション・ノベル」と言った方がよかろう。なにしろ、例えば、「井伏は恐ろしくなり、日本美術学校へ向かった。あそこなら安らげる。それに通っているのを誰も知らない。(p.172)」みたいに、登場人物の内面にまで立ち入った描写がなされているのだから。

それに帯の惹句にも「太宰治の『遺書の謎』に迫る本格評伝ミステリー」と書いてある。おおお、これは「ノンフィクション・ノベル」のみならず、本格ミステリーでもあったのか……二階堂黎人先生なら一体何とおっしゃるだろう。

しかし実際、この本には本格ミステリの解決編を読むときのような興奮がある。ここで主張されている「真相」は「太宰の四回にわたる自殺は実は完全犯罪を目指したものであった」というものである。それを暴く名探偵は、もちろん実際は作者猪瀬直樹なのだが、小説仕立てという趣向のため、本文中には作者はどこにも登場していない。つまり「私は〜した」とか「私は〜と思う」とかいう一人称形式の叙述がどこにもないのだ。同様に取材協力者や参考文献の名が本文中に挙げられることもない。そして登場人物は太宰の同時代人に限られる。

名探偵役が登場せず、「犯行」が完全犯罪である以上、「真相」は犯人の内面を描写することによって語るしか方法がなく、また実際にそうなっている。

阪本英明の十戒の第九条にもあるように、このような犯人自らに真相を語らせるという構成は、本格ミステリにおいてはスマートでないとされているようだ。しかしいくつかの古典的傑作、たとえば「赤毛のレドメイン家」とか「占星術殺人事件」を傑作たらしめているのは、終盤の犯人の告白に負うところが大きいのではないか。そして本書の面白さの理由もそこにあると思う。ただし拙豚は太宰の伝記的情報については明るくないので、本書の「真相」がどの程度当たっているのかはよくわからない。しかしそれは十蘭の「真説鉄仮面」が別に真説でなくてもいいようなもので、それほど重大な問題とは思えない。

文中の「阪本英明の十戒」のリンクは切れているので、下に直接書いておきます。出典は有栖川有栖『ジュリエットの悲鳴』所収の「登竜門が多すぎる」。

  1. 警察官を登場させてはならない。
  2. 探偵は敬語を使ってはならない。
  3. 犯人は十人未満でなくてはならない。
  4. 作中で他人のトリックをばらしてはならない。
  5. 自分のトリックであっても、同じトリックを二度使ってはならない。
  6. トリックにロープ、糸、氷、ドライアイス、磁石、鏡、テープレコーダー、ビデオテープ、夫婦茶碗、靴べらを使ってはならない。
  7. 読者を被害者にしてはならない。
  8. 作中「五里霧中」という言葉を五回以上使ってはならない。
  9. 解決編が犯人の告白状で終ってはならない。
  10. 参考文献に文庫本が混じっていてはならない。