元始、流水は太陽であった

 
清涼院流水のデビュー作「コズミック」が出たときは、けっこう感心して読んだ、と人に言うと皆笑うが本当のことだ。当時はてなダイアリーがなかったのはまことに幸いなことであった。もしその頃からウェブ日記など始めていたとしたら、どんな恥かしい感想を書いたか分かったもんじゃない。

あの地獄の釜のような80年代に少年期を過ごした二十歳そこそこの若者が、「死ね死ね死んでしまえ! 1200個の密室の中で死ね! それも〇〇で!」みたいな小説を書くのは共感できたし、ある意味健全な批判精神を持った頼もしいやっちゃと思ったのだった。それから対象を突き放したような無意味無感動な反復は、やはり80年代に勃興を極めたインダストリアル・ノイズ系の音楽を連想させ、その同時代性に目を見張る思いがした。

そう、ノイズ・ミュージックと言えばもう一つ共通点がある。メルツバウら、あの手のアーティストたちが教えてくれたのは、レコードに刻まれた音楽は別に完成度が低くても、クズであってもいいということだ(ファンの人すみません)。ただ次から次へと矢継ぎ早に新しい音源をリリースさえすれば、量が質にとって変わる瞬間がやってくる……当時のインディーズ・シーンの一部には確実にこういう考えがあった。

ということで、流水読みは「ジョーカー」の途中で脱落したとはいえ、彼が次から次へと、見るからに下らなそうな(ファンの人ふたたびすみません)本をリリースするのを本屋の棚で眺めては、気持の上では応援してきたつもりだ。この新作には笑丼(わらどん)という面白いキャラクターが出てくるらしい。久しぶりにまた流水を読んでみようかなとも思う(とはいうもののまだ本さえ買ってない。正直買う気をそそる本でもないし……)