ナナじゃないよナンナだよ

花の神話学

花の神話学

ビブリオテカ・プヒプヒは東雅夫さんのご紹介もあり――凄い過褒で体が痒くなりますが――おかげさまで通販申込メールもぽちぽち来ています。一日一通くらいのペースで。8月中に送金してくださった方のところにはもう本が届いていると思いますが、万一「まだ来てないよ」という方がおられましたらご一報ください。
さて、文学フリマのスペースが取れたので、また性懲りもなく当日付(11月20日)で新刊を出そうと思ってます。ビブリオテカ・プヒプヒ第五巻の今のところの予定は、グスタフ・テオドール・フェヒナー『ナンナ』。作者フェヒナーはTagesansicht(白昼見)という概念によって稲垣足穂形而上学三部作『地球』『白昼見』『弥勒』に深甚な影響を与えたドイツの哲学者、というか科学者、というか宗教家、というか……この人については高山宏がポール・アルノーを指して言った「スキゾ・スカラー」という呼称が一番的を射ているような気が。
この『ナンナ』という超面妖作品については、自前の下手な文章でくどくど言うより、多田智満子さんの卓抜な紹介があるのでそれを引用しましょう。

 十九世紀ドイツの物理学者であり心理学者であったグスターフ・テオドール・フェヒナーは、視覚の実験的研究のため、太陽を見つめすぎて盲目の身となり、大学教授の職を退いたが、幸いにも何年か後に視力を回復した。いや、ただ回復しただけではない。彼は見えないものを見る神秘的な視力を得たのである。
 ある日、ライプツィヒのムルデ河畔を散歩していたフェヒナーは、植物から霊魂が現れ出るのを目撃した。ある花から、その花の霊魂がゆらゆらと立ちのぼるのを見たのだ。その霊魂は人間の子供の形をしていた!
 フェヒナーは、植物の霊魂が太陽の光をもっと享受するために花から出てきたのだと考えた。陽光にあこがれる植物霊魂――それはようやく視力を回復して光を感受できるようになった彼自身の魂のよろこびそのものであったにちがいない。
 多くの人から病後の幻覚として片付けられそうなこの詩的な体験は、しかし思想家フェヒナーにとって決定的な原体験であった。もともとロマン派神話学の影響を受けていた彼は、十八世紀の唯物論的哲学に真向こうから対立する汎心論者となり、一八四八年に、『ナンナ――あるいは植物の霊的精神について』という一書を著した。
 ナンナ(Nanna)というのはスカンディナヴィア神話の花の女神で、大神オーディンの孫娘に当り、光と春の神バルドゥルの妻である。ナンナはバルドゥルの死を嘆くあまり、その火葬の薪の山に身を投げて死んだと伝えられる。光の神を慕うこの貞潔な花の女神が、フェヒナーの見た「陽光にあこがれる植物霊魂」のイメージにぴったりだったのである(後略)   多田智満子『花の神話学』(pp.7-8)

本当に見事な紹介ざあます。こんな文体で『ナンナ』も訳せればいいのですが。(2008/9/9付記 フェヒナーについてはここも見てください)