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時と神々の物語 (河出文庫)

時と神々の物語 (河出文庫)

ダンセイニは一連の神話を書いた後才能が枯渇し、より世俗的な物語を書くようになったと昔だれかが言っていた(リン・カーターだったか?)。しかし本書を読む限りでは、それはどうもウソのような気がする。クトゥルー神話と違い、ダンセイニの神話体系は言わば「閉じて」いて、従って際限なく書き続けられるといったものではない。何しろすべてはマーナ=ユード=スーシャーイがまどろんでいるあいだだけの存在にすぎないのだから。ライヘンバッハの滝壺からむりやり生還させられたホームズのような目に、ぺガーナの神々があわなかったのは作者にとっても作品にとってもまことに幸いだったといえよう。
それにしてもまどろむマーナ=ユード=スーシャーイと鼓主スカールというのはなんと絶妙なコンビであろう、とプログレ変拍子マニアの拙豚は感嘆せざるを得ない。クラーゲス「リズムの本質」*1と並んで、このコンビの設定にはまさしく「リズムの本質」が鮮やかに定着されているではないか。
話がそれた。再び言おう。ダンセイニは一連の神話を書いた後才能が枯渇し、より世俗的な作品を書くようになったというのはウソのような気がする。というのは、非神話的要素の混じる「三半球物語」以下の作品にも、神話の残響が強烈にこだましているからだ。そのことを明瞭に気付かせてくれるという意味で、「時と神々」のあとに「三半球物語」を持ってきたこの河出三冊目のダンセイニは貴重な作品集であろう。そしてそれは訳文の力でもある。複数の訳者の手になるにもかかわらず、訳者間で綿密な打ち合わせをした結果なのか、全体にみごとな一体性があって、神話作品から世俗作品への着地が、ちょうど熟練したパイロットのランディングのように、見事に決まっている。ダンセイニへの讃仰あらわな荒俣訳(これはこれで、少々の誤訳などは気にならない素晴らしい名訳なのだが)と比べると、ほどよく力の抜けた、天をたゆたうような訳文がダンセイニの新たな面を気付かせてくれるといえよう。つまり、このような訳文あってこそ、神話から世俗へうまい着地が日本語にも反映されて、ダンセイニの一体性が強く読者に印象付けられるのではないか。これまで散発的に訳されてきたダンセイニ諸作品からは「さまざまなジャンルをこなす多彩な作家」という印象を受けがちだが、この訳書はそうしたダンセイニ像に若干の変更を迫るといえないだろうか。
 
 

*1:ISBN:462200464X。G.R.ホッケも一目おくルードヴィッヒ・クラーゲスの名著