「ホーニヒベルガー博士の秘密」ISBN:4878935146


エリアーデ小説の中を流れる重層化された時間は、エリアーデ本人にとっては自然なものなのだろうが、われわれがそれを実感するのは難しい。それを何とか体験(追体験)する一つの方法として、中井英夫『悪夢の骨牌』をとっかかりにしてみようと思う。この『悪夢の骨牌』には多くの印象的なシーンがある。
まず、「時間の檻」:

「それじゃ、窓の外の金木犀は、あれも仮象なんですか。春になったらべつな花が咲くとでも…」
「そう、あの窓の外の花は、君のような新入りがくるたび新しく咲くんだ。季節らしいものは残しておくという、それも時間刑の意地の悪いところでね、十月になったから金木犀が咲いたんじゃない、金木犀を咲かせておいていまが十月だと思わせようというんだが、それがいつの十月かは絶対に判らないのだよ。私が眺めくらしていた星座の知識も、この昼の館ではなんの役にも立たない。強いて時間を創り出すとすれば、古代人がそうしたように、ここだけの新しい暦を編み出すしか術(て)はないのさ」 (『悪夢の骨牌』平凡社版 pp.155)

それから「時間の砂嵐」:

――しかし、五人が揃って門から外に出てみると、古川のいうとおりであった。そこの原っぱを横切ることは、ほとんど戦後史を横切ることに近かった。
[…]
「いつなんだろう、これは」
「きまってますよ、昭和二十年ですよ。戦後はいま始まったばかりですからね。われわれは戦後の原点へ戻ったんだ」
[…]
「ホラ、もう昭和二十一年ですよ」
それはいかにも二十一年の十一月二十九日付の読売新聞で、気がつくとさっきの闇市もいくつかは屋根のある屋台に変わっているのだった。
[…]
「さっきからぼくたちは時間も空間も勝手に移動してるようだけど、これでやはり、例のあの原っぱから一歩も出られないでいるんでしょう。二十一年、二十二年と順番に世相を眺めてゆくとなると、こりゃあちょっと大変だな。といって、もう元にも戻れないだろうし」(同pp.173-178)

そして、時間を繰る巫女たち:

「本当に誰か一人くらいはいないものかしら」
その夜、珍しく座敷に床を並べてから、仰向けに眼を見ひらいて柚香がいった。
「いきなり古い戦後の中に放り出されても、裏切らずにここに帰りつく人といったら」
「無理かもしれないわね、どうしたって」
瑠璃夫人もさすがに疲れた声だった。毎年毎年、一体もう何回同じことを繰り返し、何人をどぶ泥めいた終戦直後の時代へ送りこんだことであろう。だが、いまだに誰ひとりその戦後の核を、いわば輝く真珠を手に戻ってきたものはいない。それさえ手に入れてくれれば、正真の時間の獄もたちまち崩壊するだろうに―― (同pp.196-197)

ここで話を今日の本題「ホーニッヒベルガー博士の秘密」へ移そう。この作品は三人の男性(ホーニッヒベルガー博士・ゼルレンディ博士・作中の「私」)と二人の女性(ゼルレンディ夫人・ゼルレンディ氏の娘スマランダ)を軸に展開する。このうちホーニッヒベルガー博士は実在の人物で、ここここを見ると、医師としてはホメオパシーの研究で有名な人のようだ。
物語の筋は以下のとおりだ。東洋研究家の「私」は1934年のある日、ゼルレンディ夫人と名乗る見知らぬ婦人から招待状を受け、その邸宅を訪問する(この発端からして『悪夢の骨牌』に似てますよね)。夫人が語るには、彼女の夫ゼルレンディ博士は亡くなるまでの間、ホーニッヒベルガー博士の伝記の執筆に没頭していた。夫の後を継いで伝記をぜひ完成させてほしい、と夫人は「私」に嘆願する。「私」はゼルレンディ博士の三万冊あまりのみごとな蔵書に感嘆し、その仕事を引き受ける。蔵書はホーニッヒベルガー博士の伝記資料のみならず、インド学や神秘学を中心にさまざまな領域に渡っていた。
ゼルレンディ邸に日参し資料を調べていた「私」の前に、ある日ゼルレンディ博士の娘スマランダが現れ、驚くべき事を告げる。彼女によれば、ゼルレンディ博士は亡くなったのではなく、突然謎の失踪を遂げたのだという。また、「私」の前に既に三人の人間が、夫人から同じ仕事を頼まれいたのだが、誰ひとりそれを完成させられなかった。その最後の一人は、スマランダの婚約者ハンスだったが、彼は狩猟の事故で命を落としたという。
何日か後、「私」はメイドのアルニカから「大掃除をするので二日間こないでくれ」と言われる。調査が中断されるのを嫌った「私」は密かにゼルレンディ博士のノートを持ち帰る。そこには恐るべき秘密が隠されていた。
「私」はノートを返しに再びゼルランディ邸を訪れた。しかしゼルランディ夫人もスマランダも、「私」と会ったことはないと言い張る。蔵書も20年前に散逸したのだと言う。かつての書庫は今はリビングルームになっていて、本棚は一つもなかった。それから最後に不思議なシーンがあって、この物語は終わる(ただし、この最後のシーンについては今日は触れない)。
まとめると、この物語には二つの時間軸が存在している。

時間軸Ⅰ
1910年 ゼルレンディ氏謎の失踪。
1921年 スマランダの婚約者ハンス死亡
1934年 夫人、「私」にゼルレンディ氏の蔵書を見せ、ホーニッヒベルガー博士の伝記の完成を依頼
1935年 メイドのアルニカが大掃除をするため、「私」は邸を去る。

時間軸Ⅱ
1910年 ゼルレンディ氏死亡
1915年 ドイツ軍の占領中にゼルレンディ氏の蔵書散逸
1920年 メイドのアルニカ死亡
1935年 ゼルレンディ夫人は再婚していて、以前の夫には無関心。新しい夫との間には小さな男の子(ハンス)がいる。

作中の「私」がホーニッヒベルガー博士=ゼルレンディ博士の秘法に気付くとともに、時間軸はⅠ(聖なる時間軸)からⅡ(俗なる時間軸)に切り替わった訳である。それでは何故それは切り替わったのであるか?
『悪夢の骨牌』を援用した拙豚の解釈は、

1.ゼルレンディ夫人とスマランダは『悪夢の骨牌』の瑠璃夫人と柚香に相当する。
2.二人は、ホーニッヒベルガー博士=ゼルレンディ博士の秘法を究明する人間を捜し求めていた。
3.時間軸Ⅰはそのために、二人の女性が創り出した「時間」(あるいは時間の檻)であった。
4.これまでに三人と同様、「私」も秘法を(いいところまで行きながらも)完全には解読できなかった。
5.その「私」の失敗とともに時間軸はⅠからⅡに切り替わる。
6.おそらく舞台裏では『悪夢の骨牌』と同じく、「本当に誰か一人くらいはいないものかしら」というような会話がゼルレンディ夫人とスマランダの間でなされているのであろう。

(たぶんこの項続く)