「ホーニヒベルガー博士の秘密」(7月15日の続き)ISBN:4878935146


…そうして、二人の女性に見放された時間軸Ⅱの世界は崩壊の一途をたどる:

右の物語の数ヵ月後に私はまたS通りを通りかかった。十七番地の家は取り壊し中だった。鉄格子はところどころ引き抜かれており、泉水はがらくたの軽馬車や敷石でふさがっていた。私は立ち止まって長い間様子をうかがっていた。せめて二人の女性のうちどちらかの姿でも見えないか、そうしてあの不可解な振舞いにかかわることがなにか見つからないかと。しかしそこにいるのは労働者たちと、その尻をたたく請負師だけだった。(本書p.369)

精神の運動が停止すると同時に物語世界も崩壊するというこの結末は、幻想文学ではある種常套の手法である。御大石川淳の作品から一つ引くならば:

クララはやつとわれにかへつた。ふとかたはらを見ると、椅子の上に、や、アルムぢいさん……いや、やはりペーテルであった。ただし、一度に三十も五十も年をとつた風態の、影あはく、つい日の光に溶けてしまひでもするようなペーテルがそこにゐた。
「あぶない、ペーテル、はやく立つて。」
「え。」
「あたしたちはここにぢつとしてゐてはいけないわ。すぐに立つて、また行かなくちや。」 (『アルプスの少女』)

あるいは、中井英夫の『他人の夢』。ここではやはりヒロインにより別の時間軸を持つ世界が創造される。その意味で「ホーニヒベルガー博士の秘密」とパラレルな物語である:

昏睡したままだった杏子は、昨日、ちょっとだけ意識を恢復したが、もうその眼は、二度と外界の現実を受け入れようとしない。
「もう、彼女のつくってくれた、別な戦争、別な現実って奴は、おしまいなんだ。辛いことになりそうだな」
尾藤は、冗談めかして笑ったが、誰よりも杏子の妄想を信じ、その妄想の方がはるかに現実より正気に近いものだったというひそかな意見は、ついに口にしなかった。(東京創元社版全集第5巻、p.756)

しかし「ホーニヒベルガー博士の秘密」の場合、世界(時間軸Ⅱの世界)は崩壊したままでは終わらない。作者はラストに童子を登場させ、将来の再生を暗示する。(これも常套といえば常套かもしれないが……)

「やあ、久しぶりだね、ハンス!」
子供はびっくりしたふりをして目を瞠る。
「ぼくハンスじゃないよ」彼はなかなかお行儀よく答えた。「ぼくはシュテファンだよ……」
そうして、あとは振り向きもせず、遊び仲間がだれもいないのでつまらなくなった子供がするように、ぶらぶらと遠ざかっていった。(p.369)

子供の名前が変わっていることに注意。時間軸Ⅱの世界も、新たな相貌ともに、新しく生まれ変わりつつあるのだろう。