ジルベール・ルリィの詩集


ですぺら通信http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=NBG01107の6月20日の書き込みで、渡邊一考氏は「人に本を貸すときはなくなるものと覚悟しています。ジルベール・ルリィの詩集も戻りませんでしたし、数十冊の書冊が消えました。」と書いておられる。
ところが拙豚は少し前に某古書店でルリィの詩集を二冊買っている。Ma Civilisation (Jean-Jacques Pauvert,1967)とKidima Vivila(Ed. de la Difference,1977)、値段は2冊で千円ちょっとだった。往古のサド研究家の詩集を読もうなんていう粋狂な椰子が今の日本にそう何人もいるとは思えない。もしかしたら拙豚は一考氏のかっての手拓本を入手したのだろうか。一考氏あるいはその関係者の方々、この手の本は拙豚には文字通り豚に真珠であるゆえ、もしご希望ならば、いつでもお返しに参上いたします。

Ma Civilisation の方は、拙豚がパラパラとめくってみたかぎりでは、老年の気弱い繰言にしか見えない。ちょうどシャラントン精神病院に幽閉されていた晩年のサドの書簡のような。試みにいくつか日本語にしてみよう(フランス語は全然得意ではないので、たぶん誤訳はボロボロあるだろうと思う)。

リシュエンヌ

夕暮れ時、僕は宿屋の窓ガラスの陰で、村に戻る職工用乗合バスを待ち伏せする。待っているのは僕がパリから追いかけてきた、愛する小娘。
着古したマントーを身にまといバスから降りてきた彼女は、あまりに蒼白くあまりに魅力的なので、僕は泣きじゃくりながら彼女の膝元に身を投げ出す。彼女の同僚は驚いている。西の方にはローヌ河、そして死ぬことをがえんじない大空。

奴隷にゆだねられた愛

おお、お前自身の愚昧な妹、お前は記憶までをも失おうとしている!
段々状の村が僕の心の中で揺れ動く。僕は宿の調理場に入る。お前は光を背に座っている。その髪型でお前だとわかった。お前は立ち上がる。お前は裸だ。「一体ルリィさんはどこへ行ったのかしら。わけ分からない。あの人頭が変なんだわ」錠前屋の風采をした男がお前に好色な視線を投げる。彼の鼻、彼の目は壁の衣類掛けだ。お前は彼に素早く化粧をほどこす。おかげですこしは見られるようになる。ぼろをまとった修道女が夜鳥の喉を掻き切り、お前が聖女になったと僕に告げ、僕の解雇を通告する。――希望の痴呆的断末魔――継母の飢え――僕の運命。

ピカルディの薔薇

1914年8月2日、郊外の瀟洒な別荘。お父さん、お母さん、そして子供が庭に座っている。唐突にマルセイエーズが聞こえる。お父さんは立ち上がり靴を交換に行く。東駅。帰り道、少年はお母さんから目を離さない。彼らはキッチンで食事をするだろう。ダンス用のレコードを買うだろう。市電の中で滑稽な顔で笑うだろう。川辺で脱衣するだろう。鏡の付いた洋服箪笥をソドミーの鏡と名付けるだろう。