『レオナルドのユダ』

これはペルッツの遺作である。死後に遺された原稿を、弟子で友人のレルネット=ホレーニアが整理して決定稿としたらしい。それかあらぬか、ペルッツの作品らしからぬ、すっきりとした仕上がりになっている。あのペルッツ小説の醍醐味、迷宮のただ中で置いてきぼりにされるような余韻が感じられないのは淋しい(もっともペルッツ小説以外ではちょっと出会えそうにもないラストシーン――絵と対面する場面とヒロインの最後の一言――には感動するが)

時は1498年、ドイツから父の借金を取立てにはるばるミラノまでやってきた馬商人のヨアキム・べハイムは、借り手ボチェッタの想像を絶するドケチぶりに悪戦苦闘していた。そのうち彼はふと垣間見た少女ニッコラに人目惚れしてしまう。やがて二人は相思相愛の仲となるが、ニッコラは異常なほど人目を気にし、他に誰もいない所でないとべハイムと会おうとしない。そしてたまたま二人を見かけたレオナルド・ダ・ヴィンチとその友人は意味ありげな目配せを交わすのであった。

C.L.ムーアの名作『シャンブロウ』を思わせる展開である。この少女はさぞや怪しのものに違いない、と期待は高まる。

解説の杜撰さとかいろいろな意味で、この版元からペルッツの邦訳が出てしまったことは不幸だったかもしれない。版元はこの作品を、あたかもレオナルド・ダ・ヴィンチを主人公とする芸術家小説であるかのように喧伝している。しかし読んでもらえばわかるように、このいかにもユダヤ的な愛と契約と血筋の物語――『ヴェニスの商人』がちらりと頭に浮かぶ――においてレオナルドはむしろ脇役である。脇役ならまだしも、主人公のユダヤ的心情をついに理解しなかった悪役かもしれないのだ。