『第三の魔弾』

訳者の前川道介氏がこの小説を翻訳していたときは、まだヨーロッパでもペルッツの再評価は始まっていなかったらしい。1920年代にはベストセラーとなりながら、ナチスの台頭以降永らく忘却の淵に沈んでいた彼の小説群は、80年代後半に本国のオーストリアはもとより、イギリスやフランスでも陸続と出版されはじめるのだが、その先陣を切って、かつ彼の小説の中でも難物の『第三の魔弾』を翻訳紹介された前川氏のチャレンジ精神に満腔の敬意を表したい。

それにしてもこれは何という小説だろう! カルペンティエールの小説の舞台に、小栗虫太郎のキャラクターが活躍するというか…実際、強大な敵を向こうに回して孤軍奮闘する主人公、「ラインの暴れ伯」グルムバッハは『二十世紀鉄仮面』における法水麟太郎を彷彿とさせる。また、この小説の設定…コルテス率いるコンキスタドールがメキシコに上陸する以前に、宗教戦争を逃れたルター派のドイツ人たちが一足先にアステカ帝国と友誼を結んでいたという騙し絵的な設定は、まるで虫太郎の秘境もののようではないか。

一方、徹底した史実の調査の上に繰り出される大道具小道具の大盤振舞、それにリアリズムと民間伝承の魔術的な混交は、カルペンティエールの小説、例えば『この世の王国』ISBN:4891762691を思わせる。また、ここで扱われている民間伝承――悪魔との契約――は『少年の魔法の角笛』ででも歌われていそうな、あるいは『ファウスト』を彷彿たらしめるような、ゲルマン的な色彩の濃厚なものであって、それがメキシコを舞台として展開されるという魔術的リアリズムの効果は、――例えば『この世の王国』の中のラシーヌ朗誦の場面、あるいは虫太郎『完全犯罪』でマーラーが響きわたる場面のような眩暈を読者にもたらす。

そして全体の構成がまた小便を漏らしてしまうくらいに素晴らしい。プロローグで、そしてエピローグで主人公は述懐する。「なんだか、以前にもこの話を聞いたことがあるような気がする。漠然と頭にあったが、どうして知っているのかよく分からない」――ここに人は『ドグラマグラ』に出てくるⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴと表紙に記された草稿を連想しないだろうか?