『ヴァールブルク著作集7 蛇儀礼』

 よくアメリカ文化はせいぜい200年程度の厚みしかないと言われるが、とんでもない、先住民の文化があるではないか。土地の精霊(ゲニウス・ロキ)は、200年や300年の歴史で消え去るほど甘いものではないのだ。それは今でもある種の人々の夢にあらわれ、その眠りをおびやかす。ちょうどラヴクラフトの『久トゥルーの呼び声』のように。ラブクラフトに限らず、ウィアード系の作家の中には先住民の呪術などを題材にする者が何人もいるし、また現在でもアリゾナあたりのリゾートホテルに行けば、その調度などに微妙にインディアンの様式がとりいれられているのが分かるだろう。アメリカ人の中には、先住民にたいする恐怖と郷愁がいまだ残っているもののようである。

 さて、この本は、アビ・ヴァールブルクがプエブロ(定住)・インディアンを題材にフィールドワークを行った結果をまとめた講義録である。彼はここで、自らが目撃した雨乞いの儀式、ワルピの蛇舞踏について語っている。人間とガラガラ蛇が一体となって儀式に参入する描写はすばらしい:

 ここでは、踊り手とその生きた動物とが呪術的な統一体を形成する様子がいまだに見られます。しかも、驚くべきことは、インディアンたちが、これらの一連の舞踏儀式のなかで、あらゆる動物の中でもっとも危険な動物であるガラガラ蛇とのつきあい方を熟知しているということです。その結果、暴力に訴えなくても、蛇はよく慣れていて、蛇たちは自発的に、あるいは少なくとも刺激さえしなければ、その猛毒獣としての特性を行使することなく、何日も続く儀式に参加しています。これがもしヨーロッパ人の手のもとに行われたら、まちがいなく大惨事を招くことになるでしょう(p.67)

 ガラガラ蛇とお友達になって一緒に神聖舞踏を踊るワルピ・インディアン。ヴァールブルクは、このような儀礼をトーテム信仰と結論付ける。ここらへんの論調はエリアーデを連想させるが、しばしば「行ったきり」になるエリアーデと違ってヴァールブルクは常に西洋文明に帰っていく。この本では第5章から話が西洋に飛び、まずアスクレピオスが紹介される。

古代の癒しの神であったアスクレピオスは、象徴として、その癒しの杖に巻きつく蛇をともなっていました。…そしてこの、なき魂たちをも呼び戻す、このうえなく崇高で穏やかな古代の神は、その根を、蛇たちが生息する地下の王国に下ろしているのです。アスクレピオスは、その最も早い時期には、蛇の形姿で崇拝されていました。彼の杖のまわりに巻きついているのは、実は彼自身なのです。(p.78)

 このアスクレピオスは、中世の占星術においてはへびつかい座として十二星宮のひとつになる。「このようにして星に祀り上げられることで、蛇の神は、いわばトーテムとして輝かしく変身したのです(p.82)」

 ところでキリスト教文明は、異なるイメージを蛇に対していだいていた。すなわち、イブの誘惑者である。ところが、この原初の蛇イメージは、このキリスト教的シンボリズムにさえ打ち勝つのだ。

実際、中世の神学は、蛇に対するこのような崇拝を、克服すべき課題として強く記憶にとどめてきました。しかし、その結果、まったく偶発的で本来なら旧約聖書の意味や神学には矛盾するこの箇所を典拠にして、蛇崇拝のイメージは、予型論的なイメージのつながりのなかで、磔刑図そのものにまで持ちこまれることになったのです(p.88)

として、クロイツリンゲンの教会の天井画が紹介される。画はこの本のカバーになっているから、興味のある人は立ち読み(立ち見)するといいかもしれない。

 面白い本でしょう? 蛇のシンボリズムは現代では例えばH.R.ギーガーの絵に影響を及ぼしているような気もする。拙豚はこのような叢書の刊行に踏み切ったありなたんの英断を讃え拍手を贈る。全巻のつつがなき完結を祈る!


宿題:(1)エリアーデ「アンドロニクと蛇」を読むこと。(2)ド・フリースの辞典の蛇の項を読むこと。(3)キャスリーン・レイン「古代の泉を弁護して」(4)プラーツ「蛇との盟約」