『ジョン・ボールの夢』

 
昨日に引き続きモリスを読む。本書解説によるとジョン・ボールは中世イングランドの農民蜂起を指導した実在の人物。社会主義に凝っていた当時のモリスにとっては大先達と言える。この作品は彼の主催する社会主義運動の機関紙「コモンウィール」に連載された。つまりこれは鴎外でいえば「大塩平八郎」にあたる作品か。チョットチガウカモ…。

本書の後半はおもにジョン・ボールと作中の「私」との社会主義を巡る議論に費やされていて、興味のないので適当に飛ばし読みしてしまった。モリス先生スマソ。しかしモリス先生、明らかにマルクス読んでるなりね。世の文学愛好家にとっては常識中の常識なのかもしれないが、無学なゆえちょっと驚いた。

タイトル「ジョン・ボールの夢」には二重の意味がある。ちょうどリチャード・ハルの「伯母殺人事件」がダブルミーニングであるように。表面的な意味は作中の「私」が見たジョン・ボールの夢、ということだが、同時に社会改革者ジョン・ボールの理想、という意味も持っているような気がする…

……のだが、ちょっとこれでは座りが悪い。やはりここは素直に「ジョン・ボールの見た夢」ととりたい。ボルヘス「円環の廃墟」は、自らの夢によって一つの世界を作り上げた魔術師が、自分自身も他者の見た夢に過ぎないと悟る話だが、この「ジョン・ボールの夢」では、お互いがお互いの夢を見ているのだ。ラスト近くで、ジョン・ボールは「私」に言う。

さあ、兄弟よ。さよならを言おう。いままさに地上での来るべき日が来たからだ。君と私ははなればなれになる。私にとって君は夢だった。君にとって私が夢だったように(本書p.149)

夢の入れ子構造! 本書は夢文学の中でも珍重すべき作品のような気がする。