実在したケルト・ルネサンス様式


 

黒死館附属幻稚園の新刊がすばらしい。今回の文学フリマで出たマーガレット・オリファント『秘密の部屋』である。これも黒死館研究史に新たな一歩をしるすものだと思う。

『黒死館殺人事件』の舞台、黒死館の建築様式は「ケルト・ルネサンス式」であるらしい。しかしこれは作者虫太郎の捏造というか妄想の産物であるというのが今では定説になっていると思う。しかしこの『秘密の部屋』を読んであっとびっくり。最初のページにこんなくだりがある。

「アングロサクソンの王族は初期ケルト文明の技術を一つにまとめて整備しようとしていたが、彼らが技術を互いに持ち寄る頃には、少なくともゴーリー城の一部は完成していたのである。初期のケルト文化とは、例えば未完成の墓の上に切り出した石を載せたり、十字架に神秘的な結び目を捩って飾りつけるような技巧の中に認められるものだ。ゴーリー城の装飾にはこうした原始的なケルトの遺風を見出すことができる。」

つまりこのゴーリー城は古代ケルトの文化や技術を今に蘇らせて建てられたものらしい。これがケルトの再生、ケルト・ルネサンスでなくて何であろう。

しかもこのゴーリー城はスコットランドにあるという。いやでも黒死館の建つ丘の描写「ちょうどそれは、マクベスの所領クオーダーのあった——北部蘇古蘭 (スコットランド) そっくりだと云えよう。そこには木も草もなく……」を思い合わさざるをえない。

むろんこのゴーリー城のモデルとなった(と巻末解説に書いてある)グラームス城がケルト式であったかどうかはわからない。つまりケルト・ルネサンス様式の建物が「実在」したとはかぎらない。

むしろ虫太郎とオリファント夫人が時をへだてて同じ城館の夢を見た可能性が大きいと思う。だがそれはそれでボルヘス的な驚異ではあるまいか。