平井呈一と吉野家コピペ


 

今回の『迷いの谷 平井呈一怪談翻訳集成』には、平井呈一の推理小説関連のエッセイがまとまって収録されている。平井が推理小説について語った文章はおそらくこれで全部ではあるまいか。解説では書く余裕がなかったがこれも今回の集成の目玉であろうと思う。

荒俣宏の平井呈一年譜には「程一は推理小説については基本的に文学性が足りないと言う理由で評価が低く、しばしば自身の訳した作品についても辛辣であった」と書かれている。しかしエッセイをまとめて読むと必ずしもそうではない。もちろん宣伝のためのリップサービスもあったのかもしれないけれど……

平井がどんなことを書いているのかは『迷いの谷』を読んでからのお楽しみということにして、人も知るように、平井の翻訳は、怪奇小説界での好評とは裏腹にミステリ界ではあまり評判がよろしくない。たとえば都筑道夫は、平井の俳句は評価しているものの、翻訳については「きざを通りこして、嫌みというべきだろう」(『読ホリデイ』)と手きびしい。小林信彦も『ペテン師まかり通る』の訳文について「当人は悦に入ってるつもりだろうが、読まされるコチラは、はなはだ迷惑」(『地獄の読書録』)とボロクソである。「都会人向けの清新な読み物」としてミステリを売り込みたかった当時の若い編集者たちには、平井の訳文はどうにも困ったしろものであったのかもしれない。

そこで気になって図書館から平井呈一訳の『Yの悲劇 神の灯』を借りてきた。講談社から出た世界推理小説体系の第八巻で、宇野亜喜良が挿絵を描いている。まあ確かに「これはこれで悪くはないんだけどどうも……」みたいな感じはする。なんというか、昔はやった吉野屋コピペを思い出してしまうのだ。「ミステリってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ」「刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか」というフレーズが頭に浮かぶ。ドルリー・レーンが「あたしはただ感想をのべただけだがね」みたいな感じで呑気そうにしゃべっていると。

ちなみに吉野家コピペには国書刊行会バージョンも存在する。