怪談の訳註

あるアンソロジーのために怪談の短篇を一つ訳した。そのとき少し悩んだのは怪談に訳註はどうあるべきかということだ。

訳したのはストレートな怪談で、おそらくポーの影響をたっぷり受けている。すなわちあらかじめ計算された展開のなかで雰囲気をジワジワと盛り上げていき、その後で緊張感を少しゆるめて油断させてから不意に怪異を起こし、読者の肝を冷やすといったタイプである。

こういった作品に大切なのは緩急のテンポと細部の気持ち悪さだと思う。細部の気味悪さというのはたとえば、中井英夫が称揚した夢野久作「あやかしの鼓」の中の「豆腐のように白く爛れている」妻木君の唇の両端とか、あるいは都筑道夫の称揚した岡本綺堂訳クロフォード「上床(上段寝台)」の「それは何とも言いようがない程に恐ろしい化け物のようなもので、僕につかまれながら動いているところは、引き延ばされた人間の肉体のようでもあった。しかもその動く力は人間の十倍もあるので……」といったくだりが例としてあげられるだろう。

それはそうとここに一つ問題があって、それは訳註をどうするかということだ。原作者が語りの力で読者を呪縛しようとしているときに、訳者がバスガイドみたいにしゃしゃり出て、「右に見えますのは富士山でございます」なんてやるのはいかがなものか。訳註はできるだけはぶいて「なんだかわからないがあそこに山みたいなものがあるな」みたいな感じを残したほうが怪談としては雰囲気が高まるのではあるまいか。

しかし訳註をつけてはいけないと思うと、かえってつけたくなるのは人情である。日本ではあまりなじみのない状況で話の前半が進むので、結果的にたくさん訳註をつけてしまった。校正のとき削るかもしれない。