本格ミステリには『毒入りチョコレート事件』に(おそらく)はじまる「多重解決もの」というジャンルがある。たとえば貫井徳郎のある作品では、ある解決での探偵役が、次の解決では犯人にされるという趣向を四度も繰り返す超絶技巧が用いられている。この作品では真犯人は最後まで不明なのだが、作中の法則でいけば、おそらく最後の解決の探偵役が真犯人なのだろう。そしてそれはまさしく、最初に犯人と疑われた人物なのだ。すごいすごい。まるでシュニッツラーの「輪舞」ではないか。
これを叙述トリックに応用した「多重叙述トリック」が考えられないだろうか。SFでは作例はすでにある。宮内悠介の「超動く家にて」がそれだ。しかしこれは明らかにギャグとして書かれている。もっとシリアスな多重叙述はないものか。
いやいや、アントニー・バークリーにしても、「超動く家にて」とまったく同じく、『毒入りチョコレート事件』をギャグのつもりで書いたのかもしれない。あの人は何をやるかわからない人だから。
しかし多重叙述トリックは難しそうである。というのは真相は登場人物たちには明らかで、それが隠されているのは読者に対してだけなのだから。たとえば男を女と錯覚させる話なら、作中人物は誰もその人が女だと知っている。それを男だと錯覚しているのは読者だけだ。だから作中レベルでは真相は明らかなので、多重にはなりようがない。真相はすでに終着点を定められているので、あれでもないこれでもないと無限遠の彼方に行くことはない。いわゆる「後期クイーン問題」が叙述トリックでは生じにくい理由でもある。
もっとも最近のミステリは全然読んでないから、こうした多重叙述トリックの実例はすでに発表されているのかもしれない。生き馬の目を抜くミステリの世界では、自分が考える程度のことは、きっと他の誰かがとっくの昔に考えているだろう。