『聖女の救済』はより本格か?

(これは一昨日の日記の続きです)

『容疑者Xの献身』のトリックは途中で見当がついた。といっても推理でわかったわけではない。似たトリックを使った某長篇を前に読んでいたので「ああ、あの手か」と思ったにすぎない。ご存知の方も多いと思うが、この某長篇とは、佐野洋が『推理日記』で批判して作者との応酬があったあの作品のことである。

ただ『容疑者X』でホームレスが関わっていたことは見破れなかった。某長篇では、犯人の母がたまたま病死したことになっている。だから『容疑者X』も「まあ、どこかで見つけたんだろうな」くらいに思いながら読んでいた。それだけにホームレスには衝撃を受けた。

ここで『聖女の救済』の話に移ると、この作品も『容疑者X』と基本設定は同じである。つまり犯人は明らかだが、その人には堅固なアリバイがあって殺せるはずがない、という謎を扱っている。そしてトリックも『容疑者X』の応用編みたいになっている。つまり『容疑者X』で数学教師石神が「幾何とみせかけて実は代数の問題」みたいなテスト問題を作るが、つまりはそういうことなのだ。

しかし『聖女』のほうは、さんざん頭を絞ったのに、そして作中の名探偵湯川が何度もヒントを出してくれているのに、トリックは見当さえつかなかった。とうとうあきらめて解決篇を読んだ。そして驚愕した。そんな単純な手だったとは!

実はこの作品ではある個所で部分的に叙述トリックが仕掛けられていて、それが目くらましになっていたのだ。その個所はゲームのルールを定めるための描写だとばかり思っていた。つまり、『犯人は**で、これは**のアリバイを崩す話ですよ』ということを作者が暗示するための描写、つまり一種の「読者への挑戦」とばかり思っていた。ところが何ということだ。読者への挑戦に叙述トリックを仕掛ける奴がいたとは。

叙述トリックだからもちろん嘘はついていない。それでも「くそう卑怯な手を使いやがって」と怒りがこみあげてくるのはいかんともしがたい。もっとも微妙な叙述トリックなので、そもそもそれに気づかなかった人もいたかもしれない。そういう人のほうがむしろトリックは当てやすいかもしれない。

ともあれ読了後は『聖女』のほうが『容疑者X』より本格度は高いと思った。それどころかクイーンの国名シリーズと同じくらい純粋本格に近いとも思った。だが今考えてみると、どちらも「異常な犯人が常識では考えられないような異常なトリックを用いる。そのトリックが犯人の異常性を際立たせて効果をあげている」という点では同じなのである。それなのになぜ『聖女』のほうに強く本格性を感じるのだろう。