『O嬢の物語』の叙述トリック


 

倉阪鬼一郎さんのミステリには「壮麗な館らしく描写されたものが実は〇〇だった」というのがかなりある。講談社ノベルスで出たもののうち半数以上はそうではなかろうか。

いっぽうレア―ジュの『O嬢の物語』『ロワッシーへの帰還』の二冊からなるO嬢二部作も、ミステリ的観点から読むとそんな味わいがある。正篇『O嬢の物語』で描かれたロワッシーの館はちょっと現実離れしたユートピアめいた場所なのだが、続篇『ロワッシーへの帰還』を読むとそれは一種の叙述トリックであったことがわかり、そこで館の真実の姿が明かされる。つまりこのO嬢二部作は、ある意味では館もの叙述トリックの王道ともいえる作品であって、倉阪さんのたとえば『新世界崩壊』にすごく似ている。

ちなみにフランス流叙述トリックでたいそう有名な某作品は1959年に出ている。『O嬢』はそれより5年早い。

しかしながらこの作品が最初から叙述トリック狙いで構想されたのかというとそれはかなり疑問だ。たぶん違うだろう。何しろ正篇が出たのが1954年、続篇は1969年とかなり間が空いているから。

『O嬢』を出したときの作者は続篇を書くつもりさえなかっただろう。それが読書界で見当違いの喝采を受けたおかげで、作者の心に、何というか、悪意が芽生えたのではなかろうか。この続篇は身勝手な夢を見る男性読者たちへの強烈なしっぺ返しではあるまいか。それはドン・キホーテの正篇と続篇の関係に少し似てはいないか——いや全然違うか。