『狩場の悲劇』


登場人物一覧の中の「オーレリア」は「オーレニカ」の誤植だと思う。これはたぶん、「アクセル全開、インド人を右に! 」と似たケースで、(おそらく校正時に)悪筆で書かれた「ニカ」を「リア」と見誤ったんでしょうね。いきなり出オチで始めるとはさすがユーモリスト・チェホフ。いやチェホフは関係ないか。

しかし「登場人物」といいながらオウムや馬まで入っているのはおそらくチェホフのいたずらではないか。それとも中公文庫の担当者がお茶目な人だったのだろうか。

それはともかく、これはとある趣向によってミステリ史にその名をとどめるチェホフの長篇である。不覚にもいままで未読だったけれど、今度中公文庫に入ったので取る手遅しと購入した。そして面白さのあまりに一気に読了した。

ただしこれはミステリの面白さというよりは、変な人たちがやたらにドタバタするコメディの面白さだと思う。なにしろ殺人の起こるのが本文344ページのうち254ページ目なのである。ちなみにこのドタバタを乱歩は「登場人物がロシア的に異常」と評しているが、この評をロシアの人が読んだら「あんなのと俺たちを一緒にするな」と怒るのではなかろうか。

ただしミステリの発展の上から見ると興味深い点がいくつもある。巻末に付された江戸川乱歩の読後感想(「宝石」に寄稿したもの)では次の三点が指摘されている。

・「〇〇〇イコール犯人」と「〇〇〇イコール犯人」の二大トリックが使われている。

・作者が犯人をことさら隠そうとはしていない。乱歩によれば「それは作者の手落ちではなくて、そこがこの小説の風変わりな構成なのである」。これはよくいえばフェアプレイの精神である。しかしこれでは今の読者が読んだらバレバレだというので、東都書房の世界推理小説体系版では、翻訳者の手によってあまりにあからさまな部分は削られている。(だがこの処置によってロシア人の異常性が減じてしまったのは否めない。この中公文庫版では削られた部分を巻末付録で復元している。中公グッジョブ!)

・殺人が物語の終わりのほうで起こる構成がクリスティの近年(乱歩がこれを執筆した1956年当時の「近年」)の作風に似ている。乱歩に言わせれば、「クリスティーがああいう構成をはじめたのは、チェホフのこの作品の影響ではないかとさえ思われるほどだ」

これに加えてあと二点ばかり指摘できるように思う。

・安楽椅子探偵の形式をとっていること。ある予審判事から実録小説を持ち込まれた新聞社の編集者が、その実録小説を読んだだけで犯人を指摘する。それもそのはず、小説中にちゃんと手がかりが埋め込まれているのだ。

・作者が原注の形で「ここに手がかりがあるんですよ」といちいち指摘しているところ。これは後年のいわゆる「手がかり一覧表」の先駆けともいえよう。

かくのごとくこの『狩場の悲劇』はミステリ的に見ると早産児めいた不思議な特徴をいろいろ持っていて、また小説としても面白い。これを復刊し、おまけに乱歩の評の再録とか、東都書房版での削除部分の復元とか、心をこめて手間暇かけた編集をしてくれた中公文庫に感謝したく思う。