これが百合か3


 
『安達としまむら』を十巻まで読んだ。いや~よかった。感服つかまつった。これが百合か。百合というものか。なるほどね~。これが男女の恋愛だったらここまで切なくひたむきにはならないように思う。

恋愛感情のひたむきさでこれに近い読後感のものに、中井英夫の『月蝕領崩壊』があった。しかしあちらは不治の病という禁じ手を使っているし、何より実話である。それに対してこちらはアニメ調のイラストが入ったいかにもラノベ風のフィクションである。そのフィクションの力で、しかも悲劇的なイベントをいっさい起こさず、能天気なままであれに拮抗している。

だがこちらにも死のテーマはおぼろに浮かんでいる。しまむらの祖父母の家の老犬がいまにも死にそうで、祖母が定期的にその写メを送ってくるのだ。いや、「死のテーマ」というよりは、時間の移り変わりのテーマといったほうがいいかもしれない。それは高校生から社会人への移り変わりであるし、人としての成長でもあるし、もちろん時間の経過にともなう恋愛感情の変化でもある。だってほら、十巻を読み終った時点で一巻の体育館二階のシーンを振り返ると、「はるけくも来つるものかな」って感じになるじゃないですか。

この小説には老若あわせて四組の百合カップルが登場する。しまむら母と安達母も合わせると五組かもしれないが、これはさすがに百合とはいえまい。あと樽見を入れるとすれば四組半か。しかし四組あるいは四組半のうち二組は、ほんの短いシーンで一回だけ、それも間接的な暗示で現われるにすぎない。しかしそれが小説に奥行を与えているし、百合初心者へのガイドともなっている。