氷沼紅司の書斎にて

 『游牧記』といえば、『虚無への供物』に出てくる氷沼紅司の書斎には、五冊揃いの『游牧記』が秘蔵されているそうだ。ヴァン・キュイは出てくる気配はなかったが、こういう青い薔薇級の珍品があらわれるのだからやはり氷沼邸は一味違う。最終号が一種の合併号だったのを、中井がおそらく現物を見ていなかったために勘違いしたものだと思う。

 しかし五冊目の『游牧記』とは胸躍る空想ではあるまいか。倉阪鬼一郎さんの初期作品に「七人の怪奇者」という短篇がある。存在しないはずの『怪奇者』第七号を古本屋で見つける話である。あれと同じように、平井功も、いったんは五冊目の『游牧記』を作ったけれど、アル中のさなかに作ったものだから凄い駄本になってしまい、怒りのあまり全冊破棄したのではあるまいか。あの人のことだからそんなことがあってもおかしくない。

 『虚無への供物』には、この五冊目の『游牧記』の他にも、トリックの一つに使われた数式の間違いとか、文庫版全集の解説で指摘されている妙なフランス語とか、反現実の存在をうかがわせるに足るほころびが随所にある。もし松山俊太郎翁が教養文庫版黒死館で行ったような校定を『虚無』でも行ったとしたら、こうした部分は全部ばりばりに直されたことだろう。

 しかし松山翁は『虚無』はあまりお好きではなかったらしい。むかしいちどお会いした折に、『虚無』に話を向けてみたら、「風俗小説としてはいいけれど……」というような歯切れの悪い答えが返ってきた。そのくせ『匣の中の失楽』は大いに気に入っていたようだ。あの寡筆の翁が、文庫版の解説まで書いているのだから。