うじうじと悩む話

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 この前『都筑道夫の読ホリデイ』を通読したことを日記に書いた。この本を読むと当然のことながら都筑のミステリ好きが感染して、創元推理文庫や早川ポケミスを読みたくてたまらなくなる。折よく荻窪の古書ワルツに『細い線』が置いてあったので買ってきた。ハヤカワミステリ文庫の新訳版ではなくて、ポケミスの文村潤訳のほうである。

 都筑道夫はこの小説を「ひとを殺してしまった男が、うじうじと悩む話」と紹介している。まさにそのとおりの話である。このシチュエーションはアイリッシュを思わせるけれど、主人公はアイリッシュ作品に出てくるような孤独な男ではない。妻と三人の子、親友、会社の同僚、行きつけの酒場のおやじといった人間関係に取りまかれている。

 しかも主人公が過失致死させたのは、その親友の奥さんなのだ。誰にも言えないそんな秘密をかかえた男が、今までどおりの人間関係を続けねばならない苦悩がよく描かれてあって、その点はアイリッシュより読み応えがある。

 江戸川乱歩は巻末解説で、「純探偵小説ではなく、殺人犯人の恐怖を描いた犯罪心理小説だが、そういうものとして相当な感銘を受けた。新分野を開拓したというようなものではなく、従来からある型に違いないが……」うんぬんと書いている。ふーんそういうものなのか新味はないのか、と思いながらも、描写のうまさに引きずられるようにして読んでいったら、最後にあっと驚いた。

 一見意外な結末なのだが、考えてみると意外ではない。読後ストーリーを反芻するとちゃんとつじつまが合っている。ロジックのつじつまが合っているのではなく、心理と行動のつじつまがあっている。こういう性格の人とこういう性格の人がいるところでこういう事件が起これば、なるほどこういう結末になるかもしれない、という納得感がある。この人はこういうことが起こっても、どうしてこういう態度なのだろう、という謎が最後に解ける。その意味では、最後に起こることを事前に読者が推理することも可能であったように思う。グレート・リーダー(本人の自称)であった都筑道夫なら推理できていたのかもしれない。

 最初のほうに出てくる、ほんのわずかな違和感を感じさせるエピソードが、最後に決定的ともいえる意味を持つにいたる。これこそミステリの醍醐味ともいうべきものだ。またこの作品では視点が主人公だけに固定されず、関係者の内心がおりおり描写される。意図があってこういう手法を採用したことがエピローグでわかる。最終章で一つのサスペンス小説が終わるとまた新たなサスペンス小説がはじまるというようなウロボロス的な構造も面白い。

 乱歩のいうように「純探偵小説」ではないが、これは心理的謎解き小説といっていいのではないか。木々高太郎が喜びそうな作風ともいえよう。ゆるぎない骨格がクラシックの風格を持っている。読んでよかった、思わぬ拾い物をしたと読後感じた。『細い線』というタイトルも、エピローグとよく調和していて絶妙だと思う。