全員一致の夜


 
ボルヘスの短篇「円環の廃墟」の冒頭に、"la unánime noche" という、直訳すると「全員一致の夜」になる謎の言葉がある。今福龍太氏に『ボルヘス 伝奇集 迷宮の夢見る虎』なる好著があるが、その第五章「夢見られた私」で、この不思議な形容が考察されている。今福氏によれば、邦訳のこの部分は翻訳者によってかなりの解釈のぶれがあり、「同意の夜」「まぎれもない夜」「闇夜」「静かな夜」などとさまざまに訳されているという。

たまたまV. S. ナイポールの『エバ・ペロンの帰還』(工藤昭雄訳 TBSブリタニカ) を読んでいたら、この問題の「全員一致の夜」に言及されているところがあったのでおおと思った。この本のなかで、ボルヘスの英訳者ノーマン・トマス・ディ・ジョヴァンニはこんなふうに語っている。
 
……その「全一的な unánime - unanimous」についてどれほど多くの論文が書かれたか想像がつくでしょう。わたしは「取り巻く」と「取り囲む」という二つの訳をもってボルヘスのところに行きました。そしてわたしは言いました。「ボルヘスさん、全一的な夜とはいったいどういう意味ですか? なんの意味もないじゃありませんか。全一的な夜でいいとするなら、お茶を飲む夜、トランプをする夜だってかまわないじゃありませんか?」。ところがわたしは彼の答を聞いて唖然としました。「ディ・ジョヴァンニ君、あれはわたしがものを書くときの無責任なやり方の一例にすぎんよ」。われわれは翻訳では「取り囲む」を使いました。ところが大勢の教授連には全一的な夜がなくなったのが気に入らなかったのです……
 
 ボルヘスの返答が尊大な口ぶりで訳されているのが面白いが、それはそれとして、この「全一的」を自分の無責任さに帰しているのはおそらく韜晦だろうと思う。現代国語の入試問題で引用された文章の作者が、その問題の正しい解答を問われて困惑するという話がしばしば聞かれるけれど、このボルヘスの木で鼻をくくったような返答も、それに類するものなのだろうか。あるいはボルヘスは若いころのバロック的な文飾が鼻につきだしてそれを捨てたかったのかもしれない。