空がとっても低い

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 「鏡に棲む男」に続いて「火星植物園」が "Nouvelles du Japon" に掲載された。このサイトには他に太宰治の「走れメロス」や野坂昭如の「戦争童話集」も訳載されている。訳者たちが真に共感する作品を選りすぐって掲載しているのがうかがえる好サイトだと思う。

 そのうえで、実に恐縮なのだけれど、この「火星植物園」の訳について無粋ながら二点だけ言わせてほしい。まず第一文であるが、この仏文は直訳すると「灰色の空の中で、雲はぶら下がっている魚の尾のように見えた」となる。原文はご存知のとおり「灰いろの曇天は、魚の尾のように垂れた」。

 天が垂れるのはおかしいというフランス風の良識が働いて仏訳はパラフレーズした表現になったのかもしれない。でもこれではだいなしである。ここは原文のダリの絵のような超現実的なイメージを活かして直訳してほしかった。そもそもこれら二文からはまったく違った情景が浮かんでくる。前者(仏訳)だと魚の尻尾みたいな変な形の雲が空に浮かんでいるように思えるではないか。あと後者(原文)だとおそらく語り手の視線は地平線にあるが、前者では上にある空を見上げている感じである。

 この「灰いろの曇天……」は『幻想博物館』(あるいは『とらんぷ譚』)全篇の開幕にふさわしい一文で、この一文に目を射られて中井信者になった者も多いと思う(かくいうわたしもその一人である)。

 もっと言うとこの冒頭の一文には、「あのねえ君、今から始まるのはね、そんじょそこらの小説と同じと思ってもらっちゃ困るよ」という作者の無言のメッセージがこめられている。口はばったい言い方になってしまうが、このメッセージを受け取れぬ者は中井のよい読者とはいえまい。

 それから第二点として、この短篇には、すでにお読みになった方ならご存知のように、一種の叙述トリックが使われていて、手記がどこで終わるかを故意に錯覚させるように書かれている。ところが仏訳では手記の部分をわざわざ一段下げにして誤解の余地のないようにしている。これは小さな親切大きなお世話というものだ。

 ついいろいろ言ってしまったけれど、中井ファンの一人として今回の仏訳はとてもうれしい。異文化の受容はまずは何重もの誤解からはじまるのが常である。中井英夫のような一癖も二癖もある(しかも日本でも十分理解されているとはかぎらない!)作家の場合はなおさらであろう。