ウィリアム・ウィルソン症候群

 これはどなただったか忘れたのだが、その方は一冊の本の翻訳が終わるとその原書を人にあげてしまうのだという。これは実感として何となくわかる気がする。気がするだけかもしれないが。

 翻訳に苦労したので原書はもう見たくもない、ということではもちろんない。そうではなくて、そもそもある本を翻訳するとは、原著の魂を訳書に植え替えることだから、訳書ができあがると同じ魂を持つ二冊の本が存在することになる。これが少々気味が悪い。ドッペルゲンガーの気味悪さである。

 かといって最初に言及した方のように原書を人にあげたりはしない。自分が訳した本は原著ではなく訳書のほうをどっかにやってしまうことにしている。いや正確にいえば、部屋が乱雑なので自然にどこかに行く。