二松学舎大学・島田泰子教授の論文「副詞「なんなら」の新用法」をたいそう興味深く読んだ。特にこの論文の「はじめに」に記された、一般には誤用とされる用法への柔軟な対応はとても共感できる。
この論文が指摘するように、近ごろは「なんなら」の伝統的でない使い方が跋扈している印象がある。「なんなら」というのは、わたしが中学二年から高校卒業までを過ごした岡山県では「何ですか」のくだけた言い方だったが、最近のツイッターなどで使われている用法はそれとは少し違うようだ。
島田教授は「なんなら」新用法のニュアンスを掴むのに苦労されているようだが、わたしはほとんど即座にわかった。たぶん教授よりはるかに日々ネットに入り浸っているせいだろうと思う。一言にしていえば、「なんなら」新用法のほとんどは、"I would say"と置き換えが可能である(つまりこの新用法は、「なんなら言うけど」の「言うけど」が脱落した形である)。だからこういう場合の「なんなら」は副詞というより挿入句として解釈したほうが(文法的には正しくないにしても)理解しやすいと思う。
この"I would say"、あるいはそれに類する接続法(あるいは仮定法?)的な言い回しは、翻訳のときにしばしば苦労する。ニュアンスを正確に伝えようとするとくどくなるか、あるいは直訳調になりがちなのだ。でも「なんなら」新用法がこのまま日本語に定着すれば、"I would say"とほぼ同じシラブル数で等価な翻訳ができる。これは翻訳家にとっては朗報ではなかろうか、とすくなくともわたしは密かに思っているのである。公言するとバカにされそうだから言わないけれど。